明石町駅

19086

昭和40年頃、明石町駅駅舎

高橋さんが、『続大夕張つれづれ#105 明石町駅の待合室』でこの写真を見て次のように書いた。


写真の左右にある立木はポプラである。

右側のポプラのある場所には花壇があり、ヒマワリやスミレなどが植えられていた。

私は動植物には興味がないせいか、他の花についてはあまり記憶にない。

駅員さんが花壇の手入れをしているのを、時どき見かけていた。

  

この写真のポプラには葉はなく、背景の山の木々の枝から読みとると、晩秋を感じさせる。


雲が地表近くにかかることも多かった大夕張。

四季の中で、晩秋の晴れた日には、朝夕の気温は低く寒々としていたが、日中はどこまでも空高く青空が広がる日が多かった印象がある。

 

そんなことを思い出しながら色を付けていった。

 

そうすると、今までずっと気がついてこなかったが、ほんのわずかに夕張東高の校舎の一部が見えていることに気がついた。

近くに見えるが、高台にある校舎は長い急坂の上にある。

雨の日も雪の日も、明石町駅を降りた学生達が長い列を作って、この校舎を目指した。

 ※前出の高橋さんの『続大夕張つれづれ#105 明石町駅の待合室』の掲載写真も、今回、同時に差し変えました。

 

 

 

白黒写真に着色した画像

 

  

 

 

千年町から先の記憶【飯田雅人】(1997.5.23)

 

子どもの頃,大夕張駅の先の千年町で舗装道路はきれていました。

そこから明石町までは,シューパロ川の蛇行を眼下に見下ろしながら,崖の上を歩くことになりました。

そもそも千年町と明石町の間は陸路で結ばれることになったのは,昭和26年になってからだそうです。

そこからは鹿島中学校と中学校のある常盤町を一望することができました。

明石町の駅近くの高台に夕張東高等学校がたっていました。

 

一度だけ学校祭の時に行ったことがあります。

 
山の中腹にあるだけあって教室からの眺めがずいぶんよかったという印象があります。

 
明石町の駅前にも人家があり,一つの集落をなしていました。

 

閉山後のわりと早い時期に,ここは夕張市植物園芸センターという大きな看板のかかった施設ができていて,かつての集落はなくなっていました。

 

 

明石町に住んでいました  【菅野彰彦】 (1996.05.17(土) 18時13分23秒)

当時は小学校の低学年で、3年を終えると釧路に越しました。

線路づたいに千年や大夕張まで歩いていったこともよくありました。明石町の鉄橋の近くにあった古い駅舎は秘密基地でした。

明石町に住んでいたころは、夕張がとても都会に思えていて、それも懐かしいですね。

不思議と寂しいという気はしなくて、この機会に夕張について色々と話題にできることを嬉しく思っています。

ずっと思い出の中に埃をかぶって置き去りにされていたのを引っ張り出してくれることになったのですから。

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