開拓 苺畑でいちご狩り
2022-08-26
2022-08-27
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『ふるさと大夕張(1丁目1番地』に2000年頃掲載した我が家のアルバムからの写真だ。その時も書いたが、この写真を見るといつも思い出すことがある。
昭和45年(1970年)鹿島中学3年の7月、日曜日。
炭砿病院に入院していた父が、久しぶりに家にもどってきていた。
父から、
『近所の人達と共に、開拓の農家にいちご狩りに一緒に行かないか』
と誘われた。
思春期を迎えていた私は、親に「いちご狩りに行こう」と誘われて、素直に「ウン」と言えず、
「いい。留守番してる」
とだけボソッと答え、結局家で一人で留守番をしていた。
別に断る理由などなかった。
なんとなく親に誘われて喜んでついて行くのが癪なだけだったのかも知れない。
思春期の人間がとる、よくある態度でもあったろう。
しかし、今思えばそれは、昭和40年頃から喘息とホジキン病で苦しんだ父が、長期短期の入退院を繰り返していた中での、家で過ごしていたわずかな回復期であった。
翌年、私は、中学を卒業と同時に札幌に出た。
その年父は入院し、2月に炭砿病院で亡くなった。
父との晩年の数少ない思い出の中でも,それは,ちょっぴりほろ苦い思い出だ。
一緒に行かなかった私には、写真の場所はずっとわからなかった。
掲載してからしばらくたった2003年頃、当時の掲示板に中松義治さんから投稿があり、この畑がご実家のいちご畑であることを教えていただいた。
これも、この写真を巡るエピソードの一つである。