昭和38年 札響 鹿島中学校 訪問
先日散歩の途中、近所にある札幌市の生涯学習センターの図書コーナーに、ふらりと立ち寄った。
その時、偶然書架の『札幌交響楽団五〇年史』という本が目にとまった。
そういえば、以前丸山直記さんの投稿で札幌交響楽団の話があったことを思い出して、手にとってみた。
タイトル通り、札幌交響楽団の創立から現在までの歴史がのっているのだが、そこには、創立以来行なってきた演奏会の日付と場所がデータとして記載されていた。
1963.10.22 音楽教室 夕張・鹿島中学校1
1963.10.22 音楽教室 夕張・鹿島中学校2
昭和38年10月22日、火曜日のこの日、鹿島中学校で2回にわたって札響の音楽教室が行なわれていた。
昭和38年といえば、鹿島中学校の全校生徒が1000名を超え、生徒の数も最大規模だった頃だ。
この年、同じように札幌市内の小中学校でも音楽教室が開催されているが、ほとんど1、2に分けての記述はない。
鹿島中学校では1日を2回にわけての音楽教室。
それだけ当時の鹿島中学校での全校生徒数、参加人数が多かったということなのだろう。
札響は当時発足したばかりで、市民や道民に溶け込んでいくために、音楽教室を取り入れ、一管編成25人ほどで、小学校から中学高校と市内、道内各地を幅広く巡回公演をしていたという。
同書には音楽教室の内容と、その意義について次の様に書かれていた。
「教室の内容は、校歌の演奏と斉唱、楽器紹介、名曲紹介と演奏で、LPレコードも高価で一般に普及していなかった時代、生の演奏や良質な楽器にふれることがなかった子どもたちを大いに感激させている。メンバーはクラッシック音楽に無縁だった人びとに、クラッシック音楽の成り立ちや演奏会の楽しみ方などを根気よく伝えていった。」
鹿島中学校での音楽教室も、それに準じて行なわれていたものだと考えられる。
また、当時巡回していたある団員は、次のように回顧している。
「当時の学校の体育館は、暖房なんてありませんから、手がかじかむ寒い冬の辛さといったらなかったです。
ある時などはあまりの寒さにもうだめだ、と中止になってしまった。その学校には、春にあたたかくなってからまた行きました(笑)」
大夕張の10月も、かなり冷え込む時期だった。初雪を間近に控えた季節。
札幌交響楽団の団員の情熱と、本物の音楽に出会った鹿島中学校の生徒たちの感動で、寒さも忘れる素敵な音楽教室になったことだろう。
当日の様子を想像してみると、その日おそらく、鹿島中学全校生徒の歌声による校歌が、いつものピアノ伴奏に変わって、迫力あるオーケストラ伴奏で体育館に響き渡ったにちがいない。
そして、続いて始まった軽快なモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲のオーケストラ演奏に、多くの中学生たちが、心をふるわせリズムをとりながら、音楽教室の魅力に引き込まれていった・・・はずである。
丸山さんの投稿と、「五〇年史」の記事からそんな光景が、思い浮かぶ。
尚、札響は1961年に創立。昨年六〇周年を迎え、公式サイトには、『1961-2021 札響60年史』として、発足から現在にいたる楽団の歴史を詳細に記述したページがある。
その中に『Concert これまで開催されたコンサート』というタイトルで、演奏会の記録を探すことができるページもある。上記の鹿島中での音楽教室開催の記録も残っている。
蛇足ながら、『札幌市交響楽団五〇年史』の中にその記事を見つけたその日は、何か懐かしい人と再会を果たしたような嬉しい気持ちで、散歩の帰り道はいつも以上に足が軽く家に帰った。
(2022年10月6日 記)
丸山さんの鹿島中学校に札幌交響楽団がやってきたその日の記憶は、次のページから。
同じ年?新琴似中学校にも札響はやってきた。数曲演奏した中に、校歌が含まれていて感動した。