錦町界隈|久々湊真一
「始めてのお買い物」というTV番組を見ていて、いつのまにか大夕張にタイムスリップしていた。
*** 自分の始めてのお買い物は、錦町入り口の購買会なのだろう(憶えていませんが)車も走っておらず家のすぐ前なので、スリルも何も無かったろうなぁー*** と。
錦町購買会は2階建ての大きな建物でした。
泉町側に米・野菜・魚が置いてあって、この部分のみ2階が無く、天井が高かった印象があります。
泉町側の外には、空箱置場がありました。
何度か空き箱を貰いましたが、魚の箱は生臭いので果物箱をねだったものです。
空き箱は、小学生時には底に竹スキーを打ちつけたミカン箱ソリに変身し、高校時にはスピーカーボックスとして林檎箱を愛用しました。
購買会と線路の間は、結構大きな広場になっており、皆さんの書込み同様「やわ玉による三角ベース」の基地となっていました。
玉が見えなくなるまで遊び興じていたのも、ご同様です。
当時流行っていた遊びに、模型飛行機があります。
竹ひご、木片(ボディ・プロペラ)と紙・糸ゴムの部品で構成された「キットのような形」で売られていました。
キットのような形とは、完全なパーツでは無いという意味です。
例えば、竹ひごは直棒で入っており、これを翼の形に自分で曲げるわけです。
ボディも、重心やバランスを考えて自分で削り、仕上げます。
完成品は、錦町の坂の上から泉町上空に飛ばします。
誰が一番遠くまで、まっすぐに飛ばすことが出来るかを競いました。
私は下手っぴーで、すぐに墜落しましたが、上手な人のものは鹿島小の方まで悠々と飛んでいき、尊敬の念にかられました。
私から見て神様のように思えたのは、錦町に住んでいた一級先輩の曽根幸夫さんでした。
手作りの部品や何重にも組合わされたゴム駆動部を、憧れの眼差しと共に凝視しました。
この仲間の中には、霜降君(後の朝登関)もいました。
当時から大きな身体をしていましたが、美しい飛行機を器用に作っていました。
錦町の坂を登りきった所に、浄土真宗のお寺がありました。真宗大谷派「本覚寺」が正式名称です。
住職は中井先生(先代は浜出先生)で、算盤塾の先生でもありました。
うちは檀家であり、檀家の子供達は年に一度仏具磨きにかり出されました。
ピカール・金属束子・新聞紙を利用して、ピカピカになるまで競い合って磨いたものです。
磨き済み品は中井先生が点検して、合格・不合格を言い渡していました。
全部終了するころ、良いにおいが漂います。
カレーライスでした。
大きな鍋に大量にありました。
腹をすかせた子供達の最高の楽しみであり、美味かったなぁ。
又、食べ物の話になってしまいました(笑)。
(2001年5月21日 記)