大根の花 |ziny
11月の今頃はもう、鹿島の地も白くなっては、消え、また白くなっては消え、地面はゴム長靴の時期でしょうね。
あの頃の夏には、代々木町2丁目の我が家の前庭にはとうきびが結構大きくおがってました。
おばけとうきびといった実の不揃いのも、まま、ありましたが、甘くて美味しい味の思い出です。
トマト、きゅうり、にら、キャベツ、ほうれん草などもあったかな。
手前には金せん花や、のぼり藤(当時はルピナスなんてしゃれた言い方はなかったなぁー、のぼりふじですね)が咲いていました。
鶏小屋もあり、朝ご飯の前に卵を取りにいき、まだ柔らかく温かかったのを思い出します。
はこべの葉っぱに卵の殻を砕いて混ぜて餌にしてましたね。
6舎長屋の5舎でした。
裏にはカリンズなども咲いていて、サッカリンのビンに入れて、甘くして吸ったものでした。
弥生町と緑町の間から便所場球場へ下りていったところにも畑を作っていて、大根の花が咲いていました。
秋になると大根の収穫です。
あの辺では、たまに闘犬場にもなってましたね。
大根を背負子にのせて、坂の上まで汗をかきかき運ばされたものです。
それをリヤカーで家まで押していきました。子供心にも結構な量だったと思います。
9月の末頃でしょうか。
それを桶で洗うのですが、いやぁー、ほんとに水がしゃっこくて、大変でした。しゃっこい、しゃっこい、でした。
手がかじかんで、それでも縄のたわしでごしごしと洗ったものです。
そして、軒下に干すのです。
腰にわらをまとめてつけて、縄に大根を載せたら、わらで仕切って重ねていくのです。
これがよく見ると、家によっては縄の数や、しきりのわらの数などがそれぞれ違っていたのを思い出します。
写真では1本の縄ですね。
バランスがいい?、節約?。
我が家では2本の縄に干していたと思います。
落ち着きがいいのでしょう。
昭和30年代中頃の懐かしい大夕張の思い出です。
大根干しの写真を見ていて、懐かしく思い出しました。
(2005年 11月11日 記)
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