「 ダイコン 」の検索結果

炭住とダイコン干し (緑町)  思い出の街角

炭住とダイコン干し (緑町) 

 昭和37年頃の晩秋。  テレビアンテナと傘のついた煙突。煙突から立ち昇る白い煙。冬の訪れも近い。  秋の陽射しを受けてダイコンの簾が窓いっぱいにおおう。  出窓の上にのっているカボチャがまた秋らしい。  庭先に、コスモスにも見える植物が、花を咲かせている。  場所は、緑町浴場の裏にあった、緑町2丁…
ダイコン干しの一服 楽しかった日々

ダイコン干しの一服

昭和30年頃 春日町。 前回の『ダイコン洗い』の住宅と同じ家の屋根の上だろう。   冬の漬物用に縄であまれたダイコンをつるし、その後の一服なのだろうか。が、それにしては、靴も、服も余所行き(ヨソイキ)過ぎる。撮影用に屋根に上がった?    片手に煙草をもってのんびりと座る一家の大黒柱たる主人と、そば…
ダイコンの収穫 楽しかった日々

ダイコンの収穫

 昭和30年代 春日町清明寮前の畑と思われる。  畑にダイコンやトウモロコシを植え、秋になると収穫していました。 白黒写真に着色した画像   ダイコン収穫の親子     春日町、清明寮とその前の畑 https://ooyubari.com/2021/03/25/seimeiryo/…
ダイコン洗い 楽しかった日々

ダイコン洗い

昭和30年頃 春日町のどこからしい。 10月頃だろうか。 秋晴れの日を見つけて、ダイコンを素手、たわしでごしごしと洗い、縄でダイコンを編む。そして軒先にすだれのように干した。 今でもこの時期、外を歩いていると近所でも縄に編んだダイコンが干してあるのをみることがあるが、滅多にみなくなった。 大夕張から…
大根の花 |ziny 思い出ばなし

大根の花 |ziny

  11月の今頃はもう、鹿島の地も白くなっては、消え、また白くなっては消え、地面はゴム長靴の時期でしょうね。   あの頃の夏には、代々木町2丁目の我が家の前庭にはとうきびが結構大きくおがってました。  おばけとうきびといった実の不揃いのも、まま、ありましたが、甘くて美味しい味の思い出です。   トマ…
代々木町の高台から見る磯次郎の沢 思い出の街角

代々木町の高台から見る磯次郎の沢

 撮影者は屋根の上に立って撮影したのだろうか、けっこう高い位置で撮影している。  正面に磯次郎の沢。沢の裏手の山は、山菜を取りにはいったり、遊び場にしていた子どもたちも多かった。    季節は秋だろうか。昔、畑に藁で野菜や木を保護したり、物干しにダイコンの葉をかけていた様子を覚えているが、住宅の畑に…
むろ( 室 )|高橋正朝 #25 続・大夕張つれづれ

むろ( 室 )|高橋正朝 #25

 我々の年代が、大夕張に住んでいた少年時代は、厳寒期になると野菜が不足した。  ちょうど、今ごろの時期てすネ。 しかし、栄養失調の話は聞いたことはなかった。  実際は、栄養失調に陥った人はいたかもしれないが、子どもだったがため、単に、社会のできごとを知らずに過ごしたのかもしれないが ••••••。 …
食憶(その3 「へ」の字)|長谷川潤一 食憶

食憶(その3 「へ」の字)|長谷川潤一

 初雪、初氷、夕張岳にも白い雪が・・という時期になると思い出すものは何か?  そうです、漬け物です!  紅葉が進むと、あちこちの長屋の壁や洗濯物の物干し竿に、ずらーっと掛かっていたダイコンです。  縄で一本ずつ丁寧に縛られて、長屋の間にユラユラ、ブーラブラと山間の早い西日の中で揺れていました。  そ…
食 憶|長谷川潤一   食憶

食 憶|長谷川潤一  

S33年大夕張生まれ。彼の大夕張での記憶は他を圧倒する。 ■エピソード1■その2 食堂のお話■その3 「へ」の字■その4 小学校の給食■その5 木箱の中身■番外編 「CM」■その6 三尺鯉■その7 住環境と食生活■その8 お上品な御味■その9 歩道橋の3時■その10 しゃっこい水■その11  お湯■…
昭和29年 秋 大根収穫 思い出の街角

昭和29年 秋 大根収穫

昭和29年 明石町 農場 秋のダイコンをたくさん背負って畑から降りてくるひとたち 。 池のそばでは子供たちがなにやら••• 大夕張礦業所の農場として開墾が奨励され、昭和24年に明石町ができてからも、昭和27年に明石橋ができるまで、千年町から明石町への道路はなく、急ぎの時には住民は鉄橋を渡って往来して…