昭和40年代大夕張パノラマ (四分割-4)

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 手前の緑ヶ丘の教員ブロックの周辺から宝沢の泉町をはさんで、錦町・千年町と続く。

 

 そして遠く、常盤町鹿島中学校の校舎まで見通すことができる。

 

 昭和43年の白銀橋の落橋事故により、鹿島中学裏から白金に抜ける道路開削によってできた山の斜面の崖も見える。

 

『ふるさと大夕張2丁目3番地』で見られるこの他のパノラマ写真には、錦町・千年町方面はほとんど写っていない。

 

 何れも神社からの写真だが、大夕張神社まで上ってしまうと、浄水場などがあるこちら側は見えなかったのだろう。

 

 神社よりも低いところから写された写真だからこそのアングルといえるだろうか。

 

 

 

 ところで、千年町方面を見下ろした写真はこれまでほとんどみたことがない。

 

 

 明石町は、夕張東(鹿島)高校があった高台からの写真がある。常盤町も対岸の道路からとった写真があり、これらは当時よく見ていた思い出に残る光景でもある。

  

  

 明石町の住宅や、大夕張駅を中心とした炭鉱住宅が建ち並ぶ全景写真も壮観だったが、古くからの商店や旅館などが建ち並ぶ千年町の俯瞰は、そうだったに違いない。

 

 千年町を見下ろすような高い場所といえば、妙法寺と願正寺の間から行く坂道を登った鹿島墓地しか思い浮かばないが、その周辺で千年町が見ることができたのだろうか。

 

 

 

   

 

  

 

こちらは昭和49年の大夕張神社からのパノラマ写真。

礦業所から鹿島小学校のあたりまで。後ろに遠く千年町が映り込む・・・

 

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