奥鹿島分校ゆかりの碑

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 白金地区(当時は『開拓』『奥鹿島』とよばれた)の子どもたちは、鹿島東小学校に通学していた。

 

 高橋正朝さんの『大夕張つれづれ』『続大夕張つれづれ』の話の中にも当時『開拓』から通う子どもたちが、時間をかけて、いくつもの吊橋を渡って通学する様子が出てくる。

  

 奥鹿島分校設置のきっかけは、これも大夕張ダムの建設が関係している。

 

 昭和30年大夕張ダムの建設によって水没する桜ヶ丘地区の農家8戸が、『開拓』の奥地に入植した。

 

 桜ヶ丘地区にはそれまで桜ヶ丘小学校というが設置されていたが、それを引き継ぐ形で『開拓』に昭和32年(1957年)4月、『鹿島東小学校奥鹿島分校』として開校したのだった。

 

 その後、閉山による街の盛衰に伴って、鹿島東小学校が鹿島小学校に統合され、本校も変遷を辿る。

 分校自体も児童数が減少し、昭和55年(1980年)閉校。

 地域に密着してきた23年間の歴史の幕を閉じた。

 

 分校児童は、本校である鹿島小学校にバスで通うことになった。

  

碑 大理石(高さ61cm×幅90.5cm×奥行き15.5cm) 
台座 (高さ104.5cm×巾140cm×奥行き42cm)

  

 

2022年8月22日撮影

碑文

(正面)

奥鹿島分校ゆかりの碑

 

奥鹿島分校のうた

 

まばゆく朝日を

あびている

夕張岳の山裾で

元気に育つぼくわたし

明かるく強く清らかに

希望の若芽を

萌やそうよ

苦しいなんて言わないで

笑顔をうかべ暮らそうよ

 

(裏面)

昭和57年10月10日 建立

平成16年9月26日再建

鹿島小学校奥鹿島分校

閉校惜別記念協賛会

 

 

参照

桜ヶ丘地区にあった小学校

 

 

『奥鹿島分校のうた』と文化活動

 

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