奥鹿島分校ゆかりの碑
2023-07-13
34572
白金地区(当時は『開拓』『奥鹿島』とよばれた)の子どもたちは、鹿島東小学校に通学していた。
高橋正朝さんの『大夕張つれづれ』『続大夕張つれづれ』の話の中にも当時『開拓』から通う子どもたちが、時間をかけて、いくつもの吊橋を渡って通学する様子が出てくる。
奥鹿島分校設置のきっかけは、これも大夕張ダムの建設が関係している。
昭和30年大夕張ダムの建設によって水没する桜ヶ丘地区の農家8戸が、『開拓』の奥地に入植した。
桜ヶ丘地区にはそれまで桜ヶ丘小学校というが設置されていたが、それを引き継ぐ形で『開拓』に昭和32年(1957年)4月、『鹿島東小学校奥鹿島分校』として開校したのだった。
その後、閉山による街の盛衰に伴って、鹿島東小学校が鹿島小学校に統合され、本校も変遷を辿る。
分校自体も児童数が減少し、昭和55年(1980年)閉校。
地域に密着してきた23年間の歴史の幕を閉じた。
分校児童は、本校である鹿島小学校にバスで通うことになった。
碑文
(正面)
奥鹿島分校ゆかりの碑
奥鹿島分校のうた
まばゆく朝日を
あびている
夕張岳の山裾で
元気に育つぼくわたし
明かるく強く清らかに
希望の若芽を
萌やそうよ
苦しいなんて言わないで
笑顔をうかべ暮らそうよ
(裏面)
昭和57年10月10日 建立
平成16年9月26日再建
鹿島小学校奥鹿島分校
閉校惜別記念協賛会
参照
桜ヶ丘地区にあった小学校
『奥鹿島分校のうた』と文化活動