大夕張に向かう三つの道(3) 大夕張と南部を遮る壁 ダニ峠

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『むかしの道ろ(昭和6年ころ)』(一部拡大)

 上の鹿島小学校の資料地図で、南部と大夕張の間、シューパロ川とパンケモユーパロ川が合流し、『二股』といわれたところ、・・・(かつて大夕張ダムはその合流地点に作られた)の山側に、道が折れ曲がった線で描かれているところがある。

 

 青葉峠(通称『ダニ峠』通るとダニがつくことからそうよばれたという。)

 

 南部の市街地から、ダム横の急な斜面を上り、シューパロ湖の湖畔亭のあったあたりに出てくるという。

 

国土地理院空中写真(昭和22年)から同位置をトリミングして拡大

 

 上は、鹿島小学校の資料地図と同じ場所を、昭和22年米軍撮影の空中写真からトリミングしたもの。

 

 南部と大夕張を遮る壁のような山と山のわずかな隙間に、川の流れと並行して幾筋か、人の手により削られた線のようなものが見える。昭和22年当時通っていた鉄道と道路だろう。

 

 峠はここよりやや北側の山の尾根を超える道だったと思われる。

  

 今から二十数年前、正木先生が主催していたシューパロ塾の探検会に参加して、登ったことがあった。

 

 翌日、『ふるさと大夕張』の掲示板へ次の様な感想文を書いていた。


  

 5月13日、シューパロ塾の『ダニ峠探検会』に参加してきました。
南部と大夕張を遮る標高差140メートルの天然の壁を、一気に登り、降りてくる2時間弱の探検でした。

 小1と小6の二人の娘も参加し、特に下の子どもは色々な方に手助けしてもらいながら、「たいへんだったけれど、上ることができてよかった」と、感想をもらしていました。

 大変良い経験をさせていただきました。


 以前,内川さんも書かれていましたが、尾根伝いに行くと、右手下にはシューパロ湖と残雪の夕張岳、左手下方に南部の街がはっきりと見えていて、以前、ここを歩んだ先人の足跡をいささかなりとも追体験できたような気になりました。

 

 そしてその地形をみると、この峠の突端の僅かに開いた山峡に、巨大なダムをつくることも頷けるのです。

 また,人の手で巨大な壁をつくり、先人が開いたその道を、永遠に閉ざしてしまう歴史の皮肉にどうしても思いを巡らせてしまうのでした。


   

 この探検会では、シューパロ湖側にはおりずに、『若葉鉱』、『六尺』の跡地に歩を進め、そちらも興味深いものがあった。

 

 炭砿の物らしき遺構や、人々が歩いたであろう道らしき坂、日用品の発見などがあった。

 

 (北部)大夕張の時代よりももっと前の痕跡を南部の街が留めていたことを初めて実感した驚きは、今でも忘れられない。

 

 貴重な体験を得ることができたのは幸運だった。

 

 もう二十年以上も前のことである。

 

 時間の流れの中で、今も深い笹と下草に覆われ、訪れる人もなく静かに春秋を重ねていることだろう。

 

 


 


備忘録

 

 

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