三菱大夕張炭砿病院 昭和49年頃《カラー版》
白黒写真に色を付けると、立体感や臨場感が増し、当時の様子が生き生きと蘇ると言われ、昨日の新聞にも、どこだかの大学が、関東大震災の時の写真をAIと人の手による着色で、当時の記憶が生々しく蘇ったなどという記事が載っていた。
着色作業をしていて、色付けしたばかりに却って侘しさ寂しさを感じる写真がある。
これもそんな一枚だった。
炭砿の街の中心の大きな病院だった閉山直後の建物。
とはいえ大夕張閉山後もしばらくは使用されていたようだ。
1973年(昭和48年)の閉山後、炭砿病院は、南部に移転(というかたちになるのだろうか・・・)し、大夕張にあるこの建物は、診療所として使用されていたという。
その後、診療所も旧大夕張駅に移転、当時、大夕張に残って地域医療にあたる元炭砿病院の病院長だった平池正先生のことが当時の新聞に取り上げられたりしたこともあった。
閉山から10年も経たない1980年頃、大夕張を訪れた。
確か大夕張を出て初めて自分の足で故郷を訪れることができるようになった頃のことだ。
当然、炭砿病院だった建物も見に行った。
父の勤務先であり、家が近いこともあり幼い頃よく遊びに行った炭砿病院は、父の入院、臨終の地でもあったからだ。良い思い出も悲しい思い出もたくさんつまっていた。
その時、炭砿病院の建物は、木材会社の建物として利用され、屋根は崩れかけ、周辺に木材が散乱していた。
その荒廃振りには目を覆いたくなるような姿だった。
その時の印象は鮮明で強く残っている。
昭和61年(1986年)の大夕張を撮影した『大夕張の面影』の映像の中で(22分51秒頃から)、当時の炭砿病院の姿を垣間見ることができる。
撮影者の河内さんが、つぶやいているが、そこに言葉に言い表せない様々な感情を感じ取ることができる。
それは当時訪れた自分の心情と重なるところがある。
そうして訪れた大夕張から、程なくして炭砿病院だった建物はなくなり、そこには草原が広がるばかりとなった。
元になったモノクロ写真はこちらから