常盤町の跡 その2 (暁橋)

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前回の鹿島橋からシューパロ川の流れに沿って進むと道は、ここで、常盤町の詰所に向かって住宅地の中を進む道と、そのまま川に沿って常盤町の周りを行くに分かれた。

 

何れにしても二つの道は、詰所の前のあたりで、合流することになり、常盤町の鹿島中学に通った自分は、この常盤町を横断して詰所に向かう道を毎日歩いた。

ただ常盤町に住んでいなかった自分には、その道からシューパロ川にかけての地域にはあまりいったことがなかったの、あまり記憶には残っていない。

 

 

さて、ここにはかつての暁橋の橋脚の跡がのこっていた。

 

 

下の昭和33年の『常盤・千年町周辺 白地図』に赤い印を位置を示したものだが、この作業をしていて一つ気がついたことがある。

 

先の常盤町の川に沿って進む道と書いたが、『中学校行き』のバスも通るその通りは、自分にとっての印象は文字通り川に沿って常盤町の外周をまわるというものだったのだ。

 

昭和33年の地図からはそんな印象は受けない。

 

そう、自分が鹿島中学校に通った昭和40年代は、川側の住宅地は、大夕張ダム(シューパロダムではない)の建設によって水没してしまい、通りと川は近かった。

 

 

シューパロ川沿いに残っていた暁橋の橋脚

 

 

 

 

昭和33年の資料から作成した白地図に位置を付したもの

 

 

 昭和27年の山神祭で常盤町の山車が、ここで撮影された。森さんの実家に残ったその時の模様を伝える写真が印象深い。

暁橋の前で

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