昭和40年 大夕張礦業所 正門前
この写真を含めて、大夕張の住民立ち退きが話題になり「ふるさと大夕張」を始めたころに、夕張市から大夕張の写真を提供していただいた、そのうちの一枚で、これまで大夕張の町の写真などを目にしたことがなかった自分にとって、本当にふるさとにもどったような気がしたものだった。
ここは大人たちの仕事場という場所で立ち入ってはいけないという気持ちがあった反面、大人達に連れられて何回か入った思い出もある。
今回、今まで掲載してきたカラー写真の原版の黄ばみをとり、画像の色味を編集したものを掲載した。掲載当時には考えられなかった技術の進歩だ。
このゲートの前で、厳しい経営側と労働者の対立があり、生活と命をかけた戦いも繰り広げられた。
当時の大人達にとって、立場によっては様々な感慨を抱く場所なのかも知れない。
下に掲載してきたのは、1997年当時の自分の記憶で、今読むと、ただただ素朴で素直な思い出の吐露のようなものだけど、それさえも、いまや懐かしい・・・。
【飯田雅人】(1997年12月9日)
当時炭砿で働く大人達はこのゲートをくぐって出勤していったのでしょうけれど,私にとってこの場所の思い出は,特に小学校低学年の頃の記憶につながっています。
この場所は,ちょうど炭山駅の正面にあたるところでした。
ここが三菱バス(山内線)の始発で,当時,千年町の教員住宅に住んでいた親戚の家に、ここからバスに乗って出かけました。
また,三菱大夕張鉄道を良く利用していた頃(昭和40年くらいまで)は,ここから汽車にのって夕張や追分経由で札幌に出かけていきました。
この写真を見ていると,
山の向こうから聞こえるセミの鳴き声,ほこりっぽい道路,夏の暑さでとけるコルタールのやけた空気のにおい,・・・
そんな記憶の中の音やにおいまでもがよみがえってきます。
(2020年2月10日掲載)
(2024年7月8日更新)
こんにちは 昭和40年大夕張鉱業所 正門の写真ですが 手前の白い建物は 坑外勤務の方の着到です 当時坑外勤務の人は各自 木で作った鑑札番号の付いた札を持っていて 朝出勤時ここで札を預けて 帰りにもらって帰ります。札は積み木の様な形をしていて 着到の壁にはめ込みになっていて 誰が休んだか 一目で分かる様になっていました。 私の鑑札番号は10017番でした。白い石畳所自転車で入れました。 坑内勤務の人は進発所に着到が有ったと思います 着到の奥が事務所ですね。