思い出の街角 大井組と大井質店 大井組は、大正年間に現在の南部にあった大夕張炭鉱株式会社に大井鉄平氏が、請負業として入った。飯場をかかえ、坑内の仕事も請け負っていたらしい。 大正10年7月25日新錦坑でガス爆発があった。 死亡者は、大井組飯場所属の組夫千葉某以下5人であった。そのショックから大井組は、坑内の仕事から手を引いた… 続きを読む
あらかると 大夕張の商店街 その1 【南部の商業地】 南部が『大夕張』で、大夕張が『北部大夕張』とよばれた明治から大正にかけての時代。 南部の大夕張炭炭坑に労働者が集まると同時に商売をする人たちも集まってきた。 その頃の話から始まる。 明治39年(1906年)、大夕張炭坑が開坑すると同時に、多数の労働者が入り込んだ。 … 続きを読む
思い出の街角 昭和28年 大夕張劇場 昭和28年(1953年)の大夕張劇場。左端に写っているのは永原呉服店。「呉服大売り出し」の幟が見える。 昭和31年、三菱バス山内線開通後には、『劇場前』のバス停があった。 ここは、四つ角の交差点になっていて、昭和43年頃には、大夕張劇場はすでにパチンコ店になり、西側に、サトミ会館、永原呉服… 続きを読む
あらかると 千年町に入った 指定商たち 南大夕張から新鉱を開いた北部に移転するのに伴い、それまで南部で営業していた商店が、大夕張に移転してきた。 三菱礦業所が、鉱業用地の一部を区割りして、1戸当たり間口4間、奥行き12間という広さで、営業地及び営業種別を指定した。 一商店あたり、三戸分まで借地でき、地代は坪あたり6銭3厘だっという。… 続きを読む
思い出の街角 千年町市街 昭和4年の大夕張炭砿の北部(現鹿島)開砿に伴い,南大夕張の商店が移転してきました。 三菱が土地を区画し,一戸当たり,間口4間,奥行き12間として営業地および営業種目を指定し、1商店3戸分まで借地することができたそうです。 ちなみに当時の地代は坪当たり6銭3厘だったということです。 入植当時の… 続きを読む
昭和 1930年(昭和5年) 5月 11日,大夕張俳句会設立。小幡頁同(60名)。 第2次指定商11店入地(千年町)。土屋商店(飲み屋),駒商店(時計,新聞),佐藤庄太郎(造材),小須田信一(運搬業),小原庄次郎兄弟(建具),篠崎公正(石炭運送),東田左官,帯向商店,千葉金一(理髪),酒井洋品店,熊谷市助(大工)12名。 8月… 続きを読む
昭和 1929年(昭和4年) 1月 22日,大夕張の駅名を南大夕張,北部駅(主として旅客の乗降及び購買会用品等少量の貨物を取扱うを目的とする)を大夕張駅と改称。 終点を通洞駅(一般乗降客を取扱わず専ら石炭積出し及び砿業所物資の積卸しを行うを目的とする)と命名。2月 4日,この日から客車2両を連結運転。4月 主夕張青年訓練所設置。… 続きを読む
明治 1909年(明治42年) 8月 28日,「大夕張炭坑株式会社」と社名を変える。 この頃,賃金支払いの手段として山札(金券)が発行され(一銭・五銭・五十銭・壱円の4種),坑夫は指定商から買い物をした。 当時の指定商「永原商店(魚介)」「 坂本呉服店」「中田呉服店」「沢本呉服店(酒,肉類も扱う)」「中村豆腐店」「高田甘泉堂(菓子… 続きを読む