随想 1998年 大夕張 閉鎖の頃|飯田雅人 昨日の北海道新聞夕刊に『鹿島の施設 水没で閉鎖』という見出しで、小さな記事が出ていました。 内容は、住民の移転がほぼ終了し、鹿島連絡所が9月29日で閉鎖され、10月末には、夕張署の鹿島駐在所も閉鎖されるというものでした。 6月に私が大夕張に行った際には、鹿島連絡所は、4月から火曜日のみ… 続きを読む
訪問記 平成10年 発電所からポンプ場へ|飯田雅人 突然よみがえる記憶 官行の道 平成10年夏の大夕張 下の写真は、昭和40年頃の発電所の写真をカラー化したもの。 色はあまり綺麗に出せなかったけれど、それでも初冬の風景なのか、枯れた下草が寝ているような様子に見える。 白黒写真に着色した画像 大夕張を出てからも,私自身の記憶に残る風景や建物は多く… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島小学校 の碑 ~十二名の在校生に寄せて~ 鹿島小学校の校庭には、この街の興りから衰退までを見届けてきた樹齢二百年近くのイタヤカエデの木がしっかりとその大地に根を張っている。 その傍らには、夕張市立鹿島小学校の記念碑が建っている。 そこには、この学校の七十年の歴史を見送ってくれた、最後の在校生十二名の名が刻ま… 続きを読む
訪問記 1998年12月 大夕張冬景色|長谷川潤一 ●は撮影地点 山の冬景色(官行)栄町から冬のズリ山大夕張駅前歩道橋大夕張神社雪の鹿島小校庭岳富町千年町常盤町白金明石町方面98年 大夕張冬景色 (撮影:1998年12月30日) 本当に誰もいない大夕張の冬になりました。いったい、あのポストに手紙を出すのは誰?・・・・。 風にのって降ってくる雪の音が聴… 続きを読む
スライドショー 平成10年夏 シューパロ川の河原(鹿島橋付近) |飯田雅人 平成10年(1998年)7月16日 東小の前の坂を少し下り,鹿島橋左手の笹をかき分けると確かに河原に下りる道がついていました。 無我夢中で娘と駆け下りていきました。深い雑草をかき分けて出た先は広い河原になっていました。干潟には小さな魚が手ですくいあげるほど泳いでいました。 ここでは,かつて子供たちが… 続きを読む
平成 1997~1998年「閉村」報道の記録 1997年(平成9年) 1月21日(火) 「湖底に沈む街 大夕張から」 第一部連載開始(読売新聞北海道社会面 1/26まで6回連載) 3月24日(月) 「消えた鉄道を歩く~汽笛が響いた街夕張~」NHK衛星第二BSスペシャル 3月28日(金) 「ダムに沈むヤマ元」(HTB 『myステーション』午後6… 続きを読む