思い出の街角 大井組と大井質店 大井組は、大正年間に現在の南部にあった大夕張炭鉱株式会社に大井鉄平氏が、請負業として入った。飯場をかかえ、坑内の仕事も請け負っていたらしい。 大正10年7月25日新錦坑でガス爆発があった。 死亡者は、大井組飯場所属の組夫千葉某以下5人であった。そのショックから大井組は、坑内の仕事から手を引いた… 続きを読む
昭和 1929年(昭和4年) 1月 22日,大夕張の駅名を南大夕張,北部駅(主として旅客の乗降及び購買会用品等少量の貨物を取扱うを目的とする)を大夕張駅と改称。 終点を通洞駅(一般乗降客を取扱わず専ら石炭積出し及び砿業所物資の積卸しを行うを目的とする)と命名。2月 4日,この日から客車2両を連結運転。4月 主夕張青年訓練所設置。… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和3年主夕張尋常小学校の開校 昭和3年6月、三菱大夕張礦業所が主夕張尋常小学校の建設を始め、9月15日に完成、夕張町に寄 付。10月1日に開校。(教室8その他 352.75坪~1160.77平方平方メートル) 昭和4年増築工事中の主夕張尋常小学校校舎(『開校40周年記念誌』鹿島小学校S43) 開校から数年間の出来事。 昭和3年1… 続きを読む