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ウサギのぴょん吉|石原賢治 思い出ばなし

ウサギのぴょん吉|石原賢治

 鹿島小学校2年、3年の頃の話で近所のTさん宅で、ウサギを飼っていました。   そこのお兄さんによく遊んでもらってまして、ウサギが子を産んだと聞き、見に行きました。    ウサギは非常に感受性が強いのか、人に子を見られると食い殺すとかで、網には布で目隠しされて外から見えないようになってました。   …
ラジオ体操 全国中継 |石原賢治 随想

ラジオ体操 全国中継 |石原賢治

 まだまだ暑い日が続きます。  台風一過でほんのり秋の気配でもと思いますが、もう少しがまんでしょうかね?  北海道はもう2学期も始っている様ですが、私の子供達は、まだ夏休み中です。    まだ、子供がちびの頃は、朝6時30分のラジオ体操に参加すべく、半分眠った状態でも無理やり起こし、公園広場に連れて…
カラスの襲撃 |石原賢治 思い出ばなし

カラスの襲撃 |石原賢治

 小学5年の頃、ソロバンを習っていまして、ある日曜日に鹿島中学校で昇級試験がありました。  早めに富士見町の家を出て、歩いて中学校へ向かいました。   岳富町を通る時、何を血迷ったのか、歩道の上の擁壁伝いを歩いていました。   そう、鉄道のすぐ脇道を歩いたのです。  これは、正式な道ではありません。…
炭山駅から大夕張駅まで | 石原賢治 思い出ばなし

炭山駅から大夕張駅まで | 石原賢治

 大夕張炭山駅は始発駅でしたが、何度かそこから乗車することがありました。  改札口のすぐそばには、今まさに出発を待つ蒸気機関車が湯気といいますか、蒸気をちらつかせ出発の時間を待ちわびているようでした。  あの、汽笛も子供にとっては大変大きな音で、いつボウ ボウといいますか、ポーポーという音を発するの…
大夕張の思い出|石原浩二 思い出ばなし

大夕張の思い出|石原浩二

 私はこのHPの掲示板に時々登場する石原賢治の父親です。   昭和33年に九州の崎戸鉱業所(長崎県)から赴任し、昭和48年の閉山後、高島鉱業所(長崎県)に転任しました。   大夕張在勤16年間に、富士見町6丁目、2丁目、3丁目の社宅に住み、最後の3丁目の社宅は、啓心寮の裏手にあるブロック2階建で、飯…
鼓笛隊 |石原賢治 思い出ばなし

鼓笛隊 |石原賢治

 思い出帖の中に鼓笛隊の写真が掲載されています。  私も、昭和43年当時所属していました。  確か4年生から入部出来たのではないかと思います。    低学年の頃は、運動会ですとか、何かの行事ですとかで、パレードする姿を見て、とてもまぶしい気持ちで眺めていました。  子供心ながらに、クリ-ム色のベレー…
夜空を見上げて |石原賢治 随想

夜空を見上げて |石原賢治

 私の住む所は、最近晴天続きで、晴れ晴れしております。  夕方の帰宅の頃、空を見ますと、大きな月が出ておりました。  満月のようですが、ちょっと欠けてるのかな? という感じで、カレンダーを見ると、確かに旧暦の15日でした。  そういえば、最近夜空を見ても、月明かりはあっても、星を見る機会がないなと思…
タイムカプセル | 石原賢治 随想

タイムカプセル | 石原賢治

 最近テレビ番組で、10年前ですとか、もっと昔の子供の頃、学校でタイムカプセルを埋めてそれを再び掘り出す様子を見ます。  大人になったらこうなりたいとか、当時の絵だとか、作文なんかが入っていて、見ているほうがほほえましくなったり、目がウルウルになったりします。   私の記憶違いかもしれませんが、鹿島…
百人一首 |石原賢治 思い出ばなし

百人一首 |石原賢治

 定番の『全国共通かるた』ですが、九州出身のわが家にあったものは、読み札に、公家だの、姫様だの、坊主などの作者の絵がかかれていまして、『坊主めくり』などという、お坊さんには大変失礼な遊びをしていました。  裏にした読み札を、順番に1枚ずつめくり、坊さんを引くとそれまで貯めた札を出し、お姫様が出るとそ…
お盆の花火|石原賢治 思い出ばなし

お盆の花火|石原賢治

 出張で実家(福岡)に寄り父親と話した際、お盆の花火のことで書いて欲しいといわれまして、ひと言。   お盆、8月15日(旧の盆)の夜、山神社脇から打ち上げ花火をあげていました。  専門の花火屋さんを雇うわけでなく、会社の社員の方で北沢さんという方が、あげていたそうです。  他にも何かの連絡ごとで、明…