昭和40年 三菱大夕張炭砿病院

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昭和40年頃 三菱大夕張炭砿病院。病院横の三菱鉱業バスの車庫に2種類の塗装色のバスが見える。

3件のコメント

  • 私の父も炭鉱病院にいました。
    今日跡地をみてまいりまた。

  • 私の父は、美鉄から昭和32年頃ボンネットバスを貨車に載せて、大夕張に赴任しました 炭鉱病院と車庫の間に、洋裁学校がありその一角の教室をリフォームし、社宅として 住んでいました 当時5歳頃の私は駅で大勢の人達に歓迎されたのを覚えています 鹿島小学校2年迄過ごし 父は、又美鉄に戻りました 10年前にその父も亡くなり こういう写真を見せてあげたかったです。

    •  『昭和32年頃ボンネットバスを貨車に載せて、大夕張に赴任』そんな光景を想像しながら、模型で表現したページです。
       陸の孤島と言われた大夕張。
       その地区内を走らせるバスとともに、どんな気持ちで赴任されたのか、想像しながら見ていると、お父様に聞いてみたかった気がします。
       
       そして、炭砿病院と車庫の間の洋裁学校の一角を美鉄の社宅として住まわれていたという話、たいへん興味深かったです。
       ありがとうございます。
       

      バスは山間の街をめざす

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