2007年お盆 無人街への里帰り| 泊川俊徳

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 お盆 本州から帰省された方も多いと思いますが、大夕張生まれの方々、今となっては家も人も住まない無人の街 かつての炭鉱住宅も無い。

 昨年暮れから ダム工事関連施設が造られましたが 以前の街並みは土砂の山が並び 寂しい限り。

 昔の賑やかな頃を知る人は 特に寂しい感じが強いのではと思います。

 建物も何も無い古里 新聞報道等の夕張破綻等 けっして先の明るい話も無く、複雑な思いで ふるさとに足を踏み入れたのではと思います。何人 何家族の方々が 大夕張へ訪れたのでしょうね。

  自然に戻った 大夕張を眺め、目に夕張岳を焼き付けて、それぞれの居場所へ帰って行ったのではと思います。昔の面影は 無く成りましたが 夕張岳は 昔のまま。これからも、変わる事の無い、夕張岳の山並みが見られると思います。

昔 ここには子供の歓声が有り

  人の語らいが有り

  人の温もりが有り

今は 風音が響き

  歓声も語らいも温もりも

  自然に飲み込まれて行くようです。

 今日は終戦記念日  

 旧千歳町駅裏 以前は お寺が有りました。唯一、戦没者慰霊碑が残っています。

 大夕張出身者の方でも、案外知らない方も、多いのではと思います。

 毎年、お盆が近くなると 慰霊碑には、線香や花が供えられ、戦死者の供養に訪れる方も居ります。その慰霊碑も 昨年あたりから 近くに土砂の山が作られ そこまで しなくても思うのですが そう思うのは自分だけでしょうか。

 何時の時代でも 戦争の言出っぺ 終戦まで高見の見物。 地獄の苦しみで戦死した人達ばかりが 死に損した感じに思いますね。 戦争 本当の言い出しっぺ 今何してるのでしょうまだ 生きているのでしょうかね ??? 

 8月 大夕張に行った時 ここに戦没者慰霊碑がと 確認と ちよっと手を合せても良いのではと思います 自分は 別に信心深い人間では無いのですが ちよっとね。親の墓参りにも ご無沙汰しているのにね。

盆踊り

 昭和30年代 炭鉱も景気良い時代でした 盆踊りも朝まで踊ってました。鹿島小学校の校庭も 足元が見え無い位 この狭い街に よく 之だけの人が住んで居たと、今 思えば不思議な感じですね。

 近所の叔父さんが、身体に電飾の光、ネオン飾り姿で踊ってました。炭鉱ならではの、盆踊りでしょうね。

 お盆の 少ない小遣いも、テキヤの親父に、全部 巻き上げられ、ガッカリして帰った事も有りました。

 今は こんな炭鉱街の盆踊りは、もう、何処にも有りませんね。

無人街と成った 大夕張

 鹿島小学校校庭 旧神社境内に立ち 目を閉じ 耳を澄ませば、きっと きっと賑やかだった頃の 大夕張の歓声が聞こえて来ると思います。

 今度 大夕張に行った時 目を閉じ 耳を澄ませて見ませんか。賑やかだった頃の大夕張が心と脳裏に浮かんで来る事と思いますょ。


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