大夕張でのお盆 【回想】

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最後のお盆を過ごしたのは・・・ 【三浦ユキヒロ】

 大夕張で最後のお盆を 過ごしたのは、何時だったかなーー

 関西で暮らしていた時の、束の間の帰郷かな~

 それが大夕張のお盆時期だったのかも知れないと、朧気な記憶の彼方から、細い絹糸を手繰り寄せる様に、脳裏に浮かんで来ました。

 あの、裸電球に赤〃と浮かび上がった露店の雑踏に、もう一度、紛れ込みたいな・・・


お盆 玉音放送 【飯田雅人】
 8月15日。終戦記念日ですね。私は戦後生まれで、戦争のつらさを体験しているものではありませんが、戦前生まれの世代の方には、何がしかの思い出とともに記憶に残っている日だと思います。

 昭和20年8月15日。この日、母は、姉妹たちと、祖母に連れられ沼の沢に墓参りに出かけました。その帰り、丁度、清水沢駅のホームで玉音放送を聞いたといいます。そこにいた大勢の人が座って泣いていたという話を何度も聞かされましたが、14歳の母がその時、どんな思いでいたのか。問い返すこともなく、その機会は失われてしまいました。

 また、鹿島小学校の教員をしていた祖父は、学校の今でいう「用務員室」で、校長以下10数人集まり、備え付けのラジオに耳を傾け、放心状態のまま、皆で泣いたといいます。

 昭和20年8月15日、大夕張に住まわれていた方々、どこで、どの様な思いで、この日を過ごされていたことでしょうか。


盆踊り   【野崎昭雄】

 盆踊りで電飾の前掛けを着けて、踊っていた大人たちを思い出します。

 八百屋さんがかけているような前掛けに、電飾を細工し、踊りながら足を上げると、上げた足の角度によって、接続が違うのでしょうか、ネオンサインのように、踊りの輪のなかで、光り輝いていたことを覚えています。

 電源は、炭坑で使うヘッドランプのバッテリーを使用していたようです。あのような技術は、もう忘れ去られたのでしょうか。


100円で豪遊  【泊川俊徳】

 昭和38年頃 少し前だったかな。

 正月 お盆 お祭りは 映画は 二本立て10円だった。

 協和会館 炭鉱直営の映画館で 当時 かけラーメン30円。

 飴玉二個で 一円のも有りました。ヌガーと言う白いキャラメルも 二個で一円でした。

 ですから 百円で 映画二本立てを見て おやつを買って 帰りに池田屋のかけラーメンを食べても 御釣りが来る。 大人も同じ料金です ちなみに。

 札幌で映画の料金は 五百円前後だったように聞いてます。

 石炭社員価格 一トン五円でした。自分で運ぶと無料と聞きました。 但し 一トンを自分で運んだと言う人は 居ないようです。

 千歳町にあった映画館は少し高いようでした。会社直営の映画は通常でも かなり安かったです。子供 30円か50円だった気がします。 

 盆 正月は、百円で子供が 豪遊出来る時です。昔 一円札 百円札を使った記憶が有ります。 キャラメル Ⅰ箱十個入りで十円だったようです。


思い出ばなし

 

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