幼稚園の思い出|工藤 央
色々思い出に関してかかれていますが、私もひとつ思い出したことを書きます。
昭和44年頃だったと思います。
当時風邪をひきやすい体質だった私は(今は頑丈すぎるくらいです)、数日間幼稚園を休んでいました。
しかし熱も下がり体調も良くなったので、久しぶりに幼稚園に行くことになったのです。
しばらくぶりにみんなと会えると喜び勇んで、明石町のバス停より大夕張に向かいました。
鹿島小学校を眺めながら幼稚園に着いたとき、なんと幼稚園は休みだったのです。ぐるっと幼稚園の周りを見回してみても人気が全くないのです。
一人で心細くなった私は、小学校のほうに泣きながら下りていきました。
学校の裏ではちょうど給食の準備で、業者が入れ替わり立ち代り出入りしていたのですが、私にとっては全く関係なくただただ大泣きしながらバス停を目指したのです。
すると、牛乳を搬入にきていた二人組みの、森永牛乳のお兄さんに呼び止められたのです。
「ぼうやどうしたの?」
「(泣きながら)幼稚園が休みだったのぉ。休んでいたからわからなかったの。」
「おうちはどこ?」
「明石町の教員住宅。」
「じゃぁちょっと待ってな。兄ちゃんたちこれからそっちに行くから、送ってあげるよ」
「(何も考えず)うん・・・ありがとう。」
「じゃぁ運転席に乗って待ってな。」
といって、その二人は運転席に私を乗せてくれ、その後家まで送ってくれたのです。
母のところまで送ってくれ、最後に幼稚園のかばん?(ポシェットのようなもの)に牛乳瓶を二つ入れてくれたのです。
「もう泣くなよ。男の子なんだから。明日はみんながいるといいな。」
そういって、二人はようやく泣き止んだ私と、頭を下げている母の前からさわやかに去っていったのです。
今でもその方たちには感謝していますが、どこにいらっしゃるのかも、名前もわかるわけもなく、その代わりといっては何ですが、困った人がいるとついつい口も手も出してしまう人間となってしまいました。
今でも忘れられない思い出です。
(2000年1月13日記)