わたしたちのゆうばり(昭和38年・昭和44年)
【書 名】
郷土読本 わたしたちのゆうばり
【発 行】
夕張市教育研究所
【本の紹介】
『ちょうどその時,古い形をしたきゃくしゃが入ってきました。(中略)「大夕張てつ道だ。鹿島へ行く汽車だよ。」』で始まる大夕張地区の紹介。
小学校の社会科の資料集として使われていました。左写真の表紙は昭和38年版、下の表紙は昭和44年発行のものです。私は左の写真で学習した覚えが・・・・右は、5年違いの弟が実際に使用したものです。
44年版には、大夕張のメタノール工場を夕張市の工場の一つとして取り上げ、児童の発表という形で掲載されています。以下に内容を紹介します。
【メタノール工場 二郎君のはっぴょう】
二郎君は、鹿島のメタノール工場ではたらいているおじさんに、工場を見学させてもらった時のことを発表しました。
工場見学に行く途中、おじさんがぼくに、「おじさんの工場は、坑内のガスを使って、メタノールを作る工場だよ。」と教えてくれました。
ぼくは、坑内ガスという言葉を聞いたときに、すぐに、ガス爆発のことを思い出し、ガスでも役にたつのかなあと、不思議に思いました。
「メタノールはホルマリンというくすりや、テトロンやビニールを作る大切な原料なんだ。だから北海道の工場だけではなく、遠く、東京や名古屋の工場に送られるのだよ。」とおじさんは説明してくれました。メタノール工場に着くまでは、なかで大勢の人が働いているのだろうと、思っていましたが、工場の中には、大きなモーターの音が響いているだけで、ほとんど働いている人がいなかったので、驚いてしまいました。
工場の所々にメーターがいくつもならんでいるところがあり、2・3人のおじさんたちは、3交代で一日中、メーターを見張っているということです。
外へ出てみると、工場は川の近くにありました。工場で使う水は、この川からくみ上げているそうです。「二郎君、坑内ガスからメタノールをつくっている工場は、世界でもめずらしいのだよ。」と言われ、ふり向くと、銀色に塗った工場の建物が、太陽の光にきらきらと、輝いていました。
(「わたしたちのゆうばり」(夕張教育研究所S44年版))
【編 集】
教育研究所長 | 相沢 守 | |
教育研究所員 | 五十嵐 豊 | 千葉 幸蔵 |
研究員 | 山賀 宏一 | 吉田 竜雄 |
吉岡 正一 | 宗像 和夫 | |
野村 芳郎 | 北見 喜久雄 | |
編集協力委員 | 大槻 彰一 | 金子 正 |
中山 正一 | 和田 武郎 | |
第一次改訂版執筆編集 | ||
教育研究所員 | 泉 勝統 | |
研 究 員 | 山賀 宏一 | |
第二次改訂版執筆編集 | ||
兼任所員 | 山賀 宏一 | |
研究員 | 井形 節雄 | |
〃 | 江川 博 | |
わたしたちの夕張 |
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昭和34年3月1日印刷 |
昭和34年3月31日発行 |
昭和35年1月1日増補 |
昭和36年3月31日増補 |
昭和37年5月1日増補 |
昭和38年5月1日増補 |
昭和39年5月1日増補改訂 |
昭和40年5月1日増補 |
昭和41年4月1日増補 |
昭和43年4月1日増補改訂 |
昭和44年4月1日増補 |
編集兼発行所 |
中西写真製版印刷株式会社 |