羆に脅かされ羆に助けられた話|ふぉんていん

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 はじめまして、匿名にて失礼します。小生、緑町で生を受け(産婆さんは池田さんと仰る方です)、
東高卒業まで大夕張に在住しておりました。

「大夕張掲示板」に邂逅し、望郷の念で筆を執らせてもらいました。

 昭和四十年代前半だったと思いますが、シューパロ湖畔で飼われていた羆が脱走したことがありました。ハンターの方々が数週間追い続けてしとめたと記憶しています。

 当時、新聞にも連日関連記事が掲載され、なぜ自衛隊が出動しないんだと子供心に思ったものです。

 実は、私には羆にまつわるもう一つの思い出があります。大夕張炭鉱が閉山した翌年頃の秋の出来事なのですが、当時高校生だった私は、登山経験が豊富な50嵐君の口車に乗り、身の丈三尺二寸五分のO畑と、3人で羆が頻繁に出没していた夕張岳登山を決行しました。

 バイクを駆り午後9時頃に山小屋近傍に到着した後、羆除けとしてトランジスターラジオをハイボ
リュームでガンガン響かせながら冷水コースを登坂し、お花畑を過ぎて風通しに差し掛かった頃で
す。

 先頭の50嵐君が、私に出発前に納豆を食べたか否かを誰何します。期待を裏切って悪いが未納な旨を
伝えると、50嵐曰く納豆に酷似した臭いがすると言うのです(注:私の納豆好きは親しい間柄では
有名で、長谷川潤一に至っては、休日まだ寝ているところを訪ねてきて、親も呆気にとられているう
ちに、納豆ネタの独演会をブチかまして帰る始末。当時から潤一には或る種非凡な才があった)。

 暫しその場に立ち留まっていると「動物園に行ったときこんな臭いがしたなぁ~」と呟く50嵐。


「登別の熊牧場の臭いにも似てるなぁ~」と再び50嵐。そーいえば東小学校の修学旅行で、熊牧場に行ったことがあるなぁ~と、回想したのはほんの一瞬でした。

 シンガリの身の丈三尺二寸五分は、と振り返ると、顔面蒼白でコチンコチンにフリーズしています(小生心の声:固まっとらんで早く仰臥せんかい。お主が一番目立っとるんじゃい。アドレナリンを分泌させんかぁ~)。

 オットリ刀の体で、キャップランプとラジオを消し、突っ伏して我に返ると、数十m程前方を黒い影が横切っているではありませんか。

 幸いにも我がチームは、黒い影の風下に位置していたので事なきを得ましたが、頭の中は真っ白とし
か言いようのない状態で、羆?が通り過ぎた刹那、20kg超のリュックザックを物ともせずに脱兎の
如くサミット直下の急勾配を駆け上がったのでした。

 深夜の午前0時30分頃の出来事です。若かったなぁ~。

 しかし、事はこれで終わりませんでした。

 神社の脇にテントを設営してホッと一息し、まずは腹ごしらえと、ガスコンロに着火した直後、コンロが火達磨状態となったものだから、さぁ大変。着火した当の本人50嵐は、意味不明に吃音を発して雄鶏状態に陥り(小生心:エテコーじゃあるまいし火を見て騒ぐなっつ~の)、また解凍間もない身の丈三尺二寸五分は再度フリーズしてしまった(小生心:また固まっちまったぁ~。血糖値下がってるんでないかい)。

 結局、私がテント外にガスコンロを放り投げて、一件落着と相成ったのですが、ガスボンペが爆発する可能性など考えにも及びませんでした。きっと、頭の中が真っ白だったからこそできた僥倖だったのかもしれません。

 そういう意味では、羆?に感謝しなければならないのかも。

 いつまでも大自然に育まれ、羆をはじめ野生生物が安住できる夕張岳であることを祈念し、筆を置
きます。

(2000年1月13日 記)


思い出ばなし

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