日本キリスト教会大夕張教会
昭和40年代、千年町にあったプロテスタント系の教会の写真。
昭和31年8月22日、キリスト教社会運動家賀川豊彦(1888-1960)が、大夕張で講演会を開いたことを機縁に、大夕張在住の堀田正雄、大橋秀雄と清水沢在住の北沢晋を中心に、日本キリスト教会大夕張教会の設立の動きが起こり、昭和32年(1957年)、千年町番外地に建設された。
東京から植村俊雄が牧師として着任。
昭和48年(1973年)炭砿閉山とともに、信者も離散し、廃止となった。
オルガン教室 【福山美佐子】
昭和42年か43年頃、こちらのヤマハオルガン教室に週一度通っておりました。
先生は鹿ノ谷から来ていた、斉藤洋子先生でした。
教会のオルガン教室 【Masami Kawauchi】
この教会のオルガン教室 行ってました。
私が小学校一年生の頃だから 昭和35年ごろだと思います。
屋根に白い十字架があって 覚えていますが 私が行ってた頃道路から20〜30m入った所にあったような気がします。
40年ごろ建て替えましたか?
オルガン教室のカバン ヤマハって書いてありました。
先生は若い女の人で前でピアノを弾いていました。
生徒は6〜7人で斜めに並べていました。
私は 途中で辞めてしまったのですが 電気オルガンでした。
小学校のオルガンは全て足踏み式でした。
大夕張教会 【飯田雅人】(98/04/21)
大夕張には鹿島小学校近くにあった、カトリック教会と、千年町にあったこの教会がキリスト教の教会でした。
私の身近にも信者の方がおられて、その頃は、カトリックは、鹿島小の近くの教会、そして、プロテスタント系がこちらの教会だというように言われていた、と思います。
ですから,宗派によって富士見町に住んでいた方でもたしかこちらの教会にかよっていたように思います。
私自身はこちらの教会にまったく足を運んだことはありませんでした。
鹿島中学校の通学路の途中にあり、小さな建物でしたが、鋭く三角にとがった屋根と上の方についていた十字架がとても印象的な建物でした。
千年町の教会 【市橋 勝】 1998年04月19日(日)12時28分11秒
飯田さんのホームページの「ふるさと大夕張」を見ていて思い出しましたが、千年町にも確かに教会がありました。
所商店の斜め向かい側の東小学校寄りの所だったと思います。カトリックの教会だったと思いますが、定かではありません。
すっかり忘れていたのですが、私は小学校の時に青葉荘(だったかな?)の友人に連れられて、日曜日毎にその教会に行ったことを思い出しました。
私はクリスチャンでもなんでもなかったのですが、牧師さんが行う説教の後に出てくるお菓子が楽しみだったんですよね。ビスケットや飴やら、「お菓子がただで食べられる」というので、近所の子供達で徒党を組んで行ってました(ごめんなさい、牧師さん)。
クリスマスの時はやはり一番盛大なパーティが催されました。参加した子供達全員にプレゼントが与えられるんですよね。それが結構豪華なものだったように記憶しているのですが、具体的にどんなものだったかは忘れてしまいました。
でも、「キリスト教ってすごいんだな」などと、プレゼントを貰えたことだけで判断していました。(要するに、ただの貧乏少年だったということなのですが。)
そんな不純な(?)動機で教会に行ってましから、当然のことながら長続きするわけもなく、日曜日毎に通うのが面倒になって、何時しか教会の存在さえも忘れてしまっていたのでした。
閉山後、私がまだ大夕張にいた頃に、「あの教会ももう閉鎖するらしい」と聞いたように思いますが、もう今となっては知る由もありません。