昭和27年 炭砿病院職員野球部

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 昭和27年(1952年)6月11日、北炭職員野球部と試合後に、夕張炭鉱病院前で撮影した写真らしい。

 下の書き込み、父の顔を見つけて書いたのだけれど、今回、着色をしていてなんと母が写っていたことに気がついた。鈍感にも程があります・・・。

 炭砿病院の事務室で働いていた母が、正面玄関をはさんで、向かい合っていた薬局に勤務していた父と結婚したのは、昭和29年10月のこと。

 ここには、20才の母と、27才の父がいる。

 戦後の新しい価値観の中で自由恋愛に憧れる時代風潮の世の中で、まだまだ、父と母は昔風に「お見合い」というか、誰かの紹介で結婚したはずだが、この時は、お互いにどんな風に思っていたのだろう、と親子のネタになりそうな写真なのだが、すでに時は遅し。二人とも彼岸の人だ。

 

 炭砿病院チームが、病院長の杉本先生を中心に、応援の女性陣も交えて撮った写真。みなさん笑顔が、素敵です。

 

白黒写真に着色した画像

父の顔  【飯田雅人】

 あらためて見ると、父が写っていました。

 小柄で病身だった父には野球は縁がないものと勝手な思い込で、父のアルバムにあったにもかかわらず、ずっと写っていないものとばかり思っていました。

 今回、下の結城さんの書き込みを読み、あらためて見直して見ると、なんと父がいました。

 2列目に親友だったという友人と共に写っています。

 また、臨床検査技師の長尾さんを始め、当時、自分にも見覚えのある方が何人か写っています。

 父が27歳の独身時代、富士見町の独身寮の啓心寮で、みんな仲良くしていたという話を母から聞いていました。父がまだ若くて健康だった時の写真です。

 

 そういえば、私が子どもの頃、父は、皮で出来た重い内野手用の平べったいグローブをもっていて、よくキャッチボールの相手をしてくれたことがありました。

 家には、ユニフォームと、皮のスパイクシューズもあり、当時は野球もしないのになぜそんなものがあるのか、聞いてみたこともありませんでしたが、漸くわかったような気がします。


 おじじの写真が。  【結城雅司】(2008/06/03(Tue) 19:55)

 ご無沙汰していました。

 皆さん、お元気ですか。

 家内の知り合いで偶然、大夕張出身の方がいらっしゃいまして、このHPをお教えしたそうです。

 (世間は狭いですね。)

 家内も気になって、このHPを見ていたところ、「大夕張炭鉱病院」の職員野球大会の写真を見つけたそうです。

「これ、あなたのおじいちゃんじゃない。」

と写真を見せられました。

(会った事もないのに、よくわかったなー。顔が、似ているそうです。)

 おっ~。真ん中でえらそうにしているのはまぎれもなく私の愛すべき「おじじ」です。

 30年も前に天国に行ってしまったのですが、なななんと、懐かしい。

 

 実は、父親も、このHPの写真一枚に掲載されております。

 親子二代、掲載されているとはありがたいことです。

(残念ながら、私は掲載されておりません。いずれ、幼少のころの写真をお送りしようと考えております。)

 

 さっそく、自分の子供に、「これが、ひぃおじいちゃんだよ。」と写真を見せました。

 

 大夕張へは、数年前に行ったきりです。今はどうなっているのかな~。もうすぐ、水の下ですかね。

 

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