願正寺(真宗本願寺派)
昭和7年6月に 浄土真宗(本願寺派)の寺院として建立。1998年夕張市内(紅葉山)に移転。
【沿革】
所在地
夕張市鹿島一番地千年町
創立年月日
昭和2年(炭鉱開坑と同じ頃入植・山野を開きながら布教)
寺号公称
昭和22年
本 尊
阿弥陀如来
歴代住職名
(開基)山平一道・山平静雄・椎原了俊・ 椎原眞美
檀家総代
森崎武旺
檀家数
130戸
年中行事
宗祖報恩講・聖徳太子祭
境 内
本堂・太子堂・庫裡
建造物
1200坪(国有地借地)
(夕張市史S56 他)
願正寺と我が家 【椎原眞美】
昭和3年、願正寺開基住職一道師により、この地に入植、開基坊守久さんが亡くなられたことにより、私の父了俊、母カズエが、昭和56年より通い始め、昭和58年5月より父に代わり私が当寺をお守りして現在に至っている。
(中略)
14年の間に、いろいろな人々に育てられ、また支えられ守っていただいている。
お寺の境内からの夕張岳のながめはとても最高で、四季折々を楽しませてもらっている。
この地を、ダムによって離れてしまうことは、非常に残念に思う。
(『鹿島で暮らした日々大夕張(H10)』より)
お寺の池
願正寺だったかお隣の寺だったかの横手に池があって、その池のどぶさらいをしたことがあった。
魚以外で出てきたものはカラス貝。大きなものがごろごろありました。初めて見ました。
山平さん
『山平さん』とウチの家族は呼んでいたので、正式なお寺の名前はうろ覚えでした。
『鍋谷さん』の妙法寺は檀家でしたので、曽祖母に連れられて4〜5歳の頃はしょっちゅう行ってました😀
私の母親がお寺に洗濯の仕事で行っていて東小学校の帰りにそこのお寺によく遊びに行っていました。
それがここのお寺なのか? 名前が分からなく母も??でした。 たぶん池もあったような? 千年町だと思う。
S33年から36年頃です。
千年町の一風景・願正寺
母方の祖父母が「門徒」さんで、祖母が小さかった叔母の手を引いて参加した稚児祭りの様子が写真に何枚か残っています。
鹿島東小学校の方から通りをあがってくると、通りの両側に立ち並ぶ商店、そしてつきあたりに、この願正寺が見えました。
願正寺を正面に見る、千年町商店街の風景が私にとって千年町のイメージをずっとつくっていました。
鹿島中学校から友人と遊びながら帰る道、いとこのタカちゃんの家の前の「朝日荘前」の停留所からバスに乗って帰る道、目線の先には,いつも願正寺がありました。
三菱大夕張鉄道の千年町駅の前の通りは,河野歯科医院などの病院や読売新聞販売所,美容院などがありましたが,当時、舗装道路ではなく生活道路という感じでした。
また,このお寺の左手には鹿島墓地や火葬場まで行く沢伝いの道があり、中学生の頃、一度肝試しを生徒達でしたことがありました。