鬼ごっこ |内川准一
2022-01-22
2022-03-15
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小林さんの『鹿島小学校でお化け遊びと称して、何人かの友人たちと学校内を探検』した話を読んで、思い出したことがあります。
当時、線路脇の便所だったか、富士見丘寄りの便所だったか忘れましたが、掃除が終わり、丁度西日が便所の床に射し込む頃、しんとして不気味な雰囲気の校内で、時々かくれんぼをしたものでした。
便所は、半地下の石炭庫も含めて、捜しに行くのが苦手な場所でした。
それなのに、一度など、便所の中に隠れて、忘れ去られ、出てみるとみんなは既に帰っていて、誰もいない校舎内に一人取り残されたことを知って、寂しい思いと怖い思いを同時に味わったこともありました。
それ以前は、もっと不気味な学校だったように思うのは、私が幼かったせいでしょうか?
新校舎ができる前の、雀の巣だらけだった旧校舎。
3箇所もあった玄関。
真ん中にあった玄関の薄暗くて巨大な空間。
1階の理科室にあった人体模型は廊下からいつも見えていたような。
うう、どうだったっけ。
(1999年9月6日 記)
真ん中にあった玄関の薄暗くて巨大な空間、そう確かその上の教室で・・・3年生の頃か?
学校内の探検なのか肝試しなのか当直の先生の時にやった記憶が、線路側の下っていく妙に長い階段(怪談)も誰もいないと勇気も出てこなかった。
その時の先生が催眠術をやるとのことで私の番になって先生が(目が覚めたらトイレに行きたくなる)、私はその通りにトイレに行ったら誰かは忘れたがついてきた。真面目な顔で本当に催眠術にかかったのか聞いてきた。何とも答えに窮したものだ。
掃除をすると板目の間に埃が溜まっている古い床、ぎしぎしきしむ階段。
そして何かと噂のあった線路側にくだっていく長い階段と大きな便所。
薄暗い小学校の記憶もはるか昔のような記憶。
卒業するときの6年竹組『おわかれ会』は、明るい教室で、現在につながる『普通』の教室で行なった。
時代の境目の時だったなあ。
MIYOSHIか?