人生で一番、楽しかった頃 | 村岡(旧姓・雨森)由喜夫
昭和20年代後半に遠幌の炭鉱住宅に住んでいました。
父は雨森康男、中学校の先生(英語)、母は艶、大夕張炭鉱診療所で歯科医。
私と弟は遠幌保育園でした。
雪の情景が、あの頃ラジオから流れた「雪の降る町」の唄と共に必ず瞼に浮かびます。
小学校の裏には熊が出るので銃を構えた案山子があったこと。
住宅の裏は、夏、谷間で山葡萄を採っていたら蛇の出遭い、木から落ちたこと。
冬はこの凍った谷川を馬車がシャンシャンと走っていました。
保育園の課外では、この住宅裏がスキー場に。
遊びすぎて、凍てついた手を垂れながら、弟と泣きながら家に駆け込み、ダルマストーブで暖を取ったこと。
玄関が雪で埋まり、窓から出入りしていました。
家で使う石炭、冬時飼っていたクロを使って、犬ソリで運んでいました。
ソリの後ろに掴まっていたらステンと転んで、バケツの取っての針金が顎に刺さり、ワンワン泣いたこともあります。
隣の隣にはブンちゃんという友達もいました。
母や弟と清水沢から遠幌まで線路伝いに歩いたことも。
途中のトンネルや鉄橋が怖かったこと。
大きなダムがあったことも覚えています。
卒園前、稚内に引越しすることになったのですが、園の皆さん全員が、遠幌駅のホームに立って私たち家族を見送ってくれた事。
あの情景は今でもありありと浮かんできます。
母は86歳。
今でも現役で歯科医を山形県酒田市で「雨森歯科医院」としてやっています。
私が小学校3年生の時に両親は別居&離婚。
遠幌に居る頃が両親も揃っていて一番楽しい想い出だったし、私の人生の大切な大切な原風景になっています。
故郷よ、遠幌よ、有難う!
2005年7月31日に夕張岳に登ります。
下山したら、ゆっくり遠幌(駅跡、保育園跡、小学校跡)と今はない大夕張の町があったダムを歩きます。
村岡由貴夫 福岡市在住。 山岳ガイド事務所アンデニスタクラブ主宰
(2006年7月6日 記)