私の両親は大夕張郵便局職員 | 市橋 勝
2022-03-25
2022-06-22
22020
大夕張郵便局閉鎖の報をきいて・・・
いよいよ、大夕張郵便局も閉鎖なのですね。
小さい頃(昭和30後半~40年代)、よく職場に連れられて親の仕事を覗きに行ってました。
当時は、まだ電電公社(今のNTT)と未分離で、電話交換を郵便局でやっていました。
私の母は、その交換手でした。
父のほうは配達員からその後事務仕事に移り、郵便業務全般(小包や電報なども)をやっていたはずです。
局に入ると、確かに薄暗くヒンヤリとした感じがしましたね。
左手に確か赤電話のボックスが設置されていて、郵便窓口と仕切られていたように記憶してます。
私は、親に連れられて行くことが多かったので、郵便局の正面からではなく、裏口からよく入ってました。
中に入ると局員の方の休憩室などもあるのですが、そこに雀卓が置かれてあり、すぐ横の灰皿のタバコと、部屋に漂っていたタバコと汗くさい匂いの、一種独特な雰囲気を覚えてます。
職場という何か「大人の世界」の雰囲気を感じていました。
日曜日など、学校が休みの時に遊びに行くと、その休憩室でよく出前をとってもらい、他の局員の方々と食事をしました。それがとても楽しかったことを覚えてます。
私は、池田屋からラーメンとおにぎりをとってもらうのが定番でした。
ラーメンもおにぎりも残さずにたいらげてましたので、一緒に食べていた局員がよく驚いてました。
醤油ラーメンとおにぎり。
この組み合わせがとても美味しいことは、その頃知りましたが、この「好み」は今も変わっていません。
(1998年7月28日 記)
1998年私は当時の掲示板にこんなこと書いていた。
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私は生まれてから中学卒業までの15年間大夕張の地ですごしました。
(昭和31年~昭和46年)当時は,炭坑の最盛期で,ほんとににぎやかでした。
大夕張郵便局では,子どもの頃,窓口で,よく手紙を出したり,切手を買ったりしました。
夏でもちょっと薄暗くて,ひんやりして落ち着いた感じがしていた郵便局の中を覚えています。
子供の頃良く利用していた郵便局も,今までの何度かの大夕張の訪問でも訪ねたことはありませんでした。
そうするうちに今年の3月で閉鎖になってしまったということをききました。
とても残念なことをしたと思っています。
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こんなことを書いたことも、そして大夕張郵便局について、今覚えていることは?ときかれたらこんな些細なことも覚えているだろうかと思う。
というか年とともボーッと霞の向こうに行ってしまっていた。
掲示板で話題になって、思い出していたことが有難い。