馬頭観世音(鹿島眺望公園)
鹿島眺望公園に立つ、馬頭観音。
眺望公園の中で、唯一戦前の大夕張を伝える碑である。
住民が立ち退く前、千年町の住宅地の裏手にあった。
手塚治虫の『鉄腕アトム』で「10万馬力だ♪鉄腕アトーム♪」というフレーズ。
「『一馬力』ってどれだけの力?」と親に聞いたことがあった。
「馬一頭が荷物を引っ張る力だよ」
と教えてくれた。
昭和40年くらいまで、大夕張の街中で馬の姿はよく目にしていた。
夏は「馬車」、冬は「馬そり」で馬が荷物を運ぶ姿を一年を通して目にしている。
馬車の荷台にものせてもらったこともある。
だから「そうなんだ」と納得がいった。
鉄腕アトムの10万馬力のパワーは、馬10万頭分・・・、しかも後に100万馬力にパワーアップしたらしい。
さすがに、これは想像を絶していた。
話がずれた・・・もとにもどそう。
馬は貴重な労働力だった。
大夕張のそのむかし、北部開発にあたって大正13年春から鉱夫社宅6戸がたてられた。
建築資材や機械類は、馬車によって運ばれた。
二股(南部)市街からダニ峠を通って湖畔亭の付近に降り、川の浅瀬を渡って桜ヶ丘付近に抜ける。5時間程かかって、通洞(鹿島小学校グラウンド)の台地に到達し、そこに野積みをした。
南部から北部に向かっての鉄道工事は難工事だった。
幾多の深い谷を渡る鉄橋が建設され、1号~10号の橋が同時に架けられていった。レールや鉄骨の資材を馬車が運んだ。
しかも、徐々に鉄路を延ばすという方法でなく、要所に資材を配置して一斉に仕上げるという工法をとったため、多くの資材運搬の馬を必要とした。
特にダニ峠(注※)は、急峻な坂道で、幾重にも曲がり難所だった。
峠を下る際、ワイヤーをかけて馬に負荷がかからないように降りたというが、それでも多くの馬が重い荷物とともに谷底へ落下し犠牲となったという話が残っている。
南部在住の佐藤庄太郎が、橋梁現場にる至る搬入方法を請負っていた。
「昭和2年10月、大夕張鉄道北部延長工事のための馬車軌道が完成。5哩65鎖附近の馬匹難所である巻上線脇の岩山上に佐藤組馬頭観音を建立した。」(大夕張鉄道山史から)
この佐藤組が函岩にたてた馬頭観音は、大夕張ダム建設のため昭和25年(1950年)6月17日に千年町篠崎家宅地内(1989年時)に移設された。
馬頭観音は、私が暮らす発寒、手稲地区にもあり、その他多くの地域で見られる、地域の開拓の歴史を伝えるものだ。
眺望公園の中でも、古くて小さい素朴な石碑だが、そんな歴史がこめられている。
(注※ ダニ峠は、青葉峠ともいわれ函岩のあたりでよく馬が転落した。今はシューパロダム管理事務所の対岸、大夕張ダム本体右岸の山)
(碑文 裏) |
昭和三年八月十七日建之 |
改? 佐藤庄太郎 小須田新一 |
眺望公園にある記念碑のかつての位置図