旧農場付近

19001

 

開墾伐採のあとか、このあたりの湖底一帯は、多くの木の切り株が散在していた。

 

湖畔亭の下、大夕張ダム湖の湖底は、かつて農場(第2農場)といわれた。対岸が桜ヶ丘方面。

 

 

戦後炭鉱の人口増により大夕張にも町外れの畑地にも町ができた。

第一農場にも炭鉱住宅が建設されて、明石町となった。それにより第二農場は農場になった。

 

大夕張鉄道にも昭和20年代、第二農場前臨時乗降場(のち農場前臨時乗降場)が設置されていた。

 

当時、桜ヶ丘で少年時代を過ごしたS氏の記憶によると、住宅などの大きな建物はなく、開拓農民が通いで開墾し、農具をしまっておくような小屋のようなものがいくつかあったというはなしである。

 

昭和22年に撮影された航空写真を見ると、確かにいくつかの建物がこの土地に建っていることが確認できる。

 

三弦橋の手前、(第2)農場付近 右手が湖畔亭 北側から撮影した写真。2002年大夕張ダム渇水期の頃

↓農場前臨時乗降場

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