大夕張のまち その7 1997 大夕張銀座と呼ばれた商店街

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 おとな達のあいだで、ここ駅前から栄町の商店街が大夕張銀座と呼ばれていたことを知ったのは、佐藤貞雄さんの『大夕張10景(9)駅前銀座』(岳麓の里)を読んでからだった。

 

 自分自身の周囲の子どもたちや大人達の口から大夕張銀座と言葉を聞いたことがなかったような気がする。

 商店街の方に行く時にはなんと言っていただろか。

 

 『まちにいってくる』

 

そんな言葉を使っていたように思う。

他の地域でつかわれているかどうか知らないが、この言葉はその後も街の繁華街に出るときにはこの言葉を使い続けた。

  

大夕張から出るには汽車に乗った。

だから札幌に出てきてからも、自分が住んでいる札幌市西区から中央区の繁華街に出るときは

 

「まちに汽車でいく」

 

と言っていた。それで通じていた。

当時は走っていたのは、電化前のディーゼルだったが、いちいち誰もツッコミを入れなかった。

 

気心しれた仲間と「つい出ちゃうんだよね」と話のネタにしながら、その後もずっと使い続けた言葉だった。

  

  

話はそれたが、当時は、それだけに大夕張の中でも、にぎやかな繁華街だった。

 

千年町は飲食店も多く、どちらかというと大人の雰囲気があったが、ここは子どもの好きな雑貨屋や衣食住の買い物に出かける気楽さがあった。

 

それにしても、大夕張には富士見、代々木、弥生、春日など東京の地名からとった町の名前が多かった。

ついに商店街にも東京『銀座』の名前が付けられていたとは。

  

東京とのつながりは、親同士の異動の話などから、子ども心になんとなく感じていたものではあった。

   

  

 

 

 

1997年5月18日 撮影

 

 

建物が古くなったといえ、かつての印象を残していた商店街。

次は昭和48年閉山前後の『大夕張銀座』

 

 

  

 佐藤貞雄さんの『岳麓の里』から

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