「 コクワ こくわ 」の検索結果

錦町とこくわとキウイの話 | 曽根幸夫  随想

錦町とこくわとキウイの話 | 曽根幸夫 

我が家のキウイの実      今年も我が家(千葉)のキウイが実をつけました。    キウイと言えば『こくわの実』を思い出します。    こくわは,若干蔓性でキウイと同じく、またたび科に属します。    サルナシとも言い、昨今はベビーキウイというそうです。    こくわはキウイをそっくり小さくしたよう…
コクワ|高橋正朝 #112 続・大夕張つれづれ

コクワ|高橋正朝 #112

 例によって、飯田さんが編集した写真をコピペ。     明石沢の鉄橋。平成11年8月に国道から撮影。閉山以降、サイクリングロードとして利用されていた。  上の写真は、私が、『続・大夕張つれづれ # 45 〘 明石の沢からの水汲み 〙』を投稿した際、飯田さんが、その投稿に添付してくれた写真をコピペした…
大夕張山歩記 全 2丁目3番地

大夕張山歩記 全

  出典は昭和53年刊『鹿島のあゆみ』から、鹿島小学校教諭米沢作朗先生の『大夕張山歩記』を、以前、自分のコメントとともに、月ごとに分けて掲載した。 今回、それを自分の文章を省いて、一つにまとめた。    以前の月ごとに掲載された文章をご覧になりたい方は、下の『大夕張山菜記』のタグからどうぞ。    …
大夕張山歩記 山菜採り10月 2丁目3番地

大夕張山歩記 山菜採り10月

大夕張の10月。 寒い日が続き、下旬頃には初雪も訪れる。 いよいよ冬が迫るころ。 山ブドウの木は、鹿島小学校から山神社に向かう坂道の土手の蔦や枯草が絡まった中に小さな黒っぽい実をつけていた。  我が家では、家に持ち帰っても、親がそれを利用することもなかったので、採って帰ったりはしなかった。 山ブドウ…
2014年(平成26年) 住民登録

2014年(平成26年)

思い出しますね。 磯次郎の沢。 秋には山葡萄・こくわ・茸  よく取りにいきました。 それに 色々化石。 もうダムの底ですね。 歴史の一頁。  たじ<か>北海道, 栄町 70歳以上 男性 - 2014/12/14 _ 15:06:13 真っ黒い川と 清流の磯次郎が  思いで深いです  福士…
ダニ峠の物語 伝説狐つき あらかると

ダニ峠の物語 伝説狐つき

むかしむかし、大夕張が南部で、その南部に大夕張炭坑があったころの大正時代のはなし。   ダニ峠で行方不明になった数え年五歳の男の子が発見されるまでの顛末。   『二十年史』(大夕張労働組合)の第一編南部大夕張時代から蒐集。      伝説 狐つき 大正末期、南部にも流行歌が唄われ始めた。   逢いた…
オンコの実 |高橋正朝 #116 続・大夕張つれづれ

オンコの実 |高橋正朝 #116

    鹿島東小学校の生徒だったとき、野山を歩いて偶然見つけた草木の実を何種類か食べたことがある。  そのなかに、オンコの実があった。  オンコの実を見つけたのは、秋も深まり、今頃の時季だった。       私は、オンコの実のことは知らなかったが、3〜4人の遊び仲間の1人が教えてくれた。 誰だったか…
山ブドウ |高橋正朝  #113 続・大夕張つれづれ

山ブドウ |高橋正朝 #113

  例によって、飯田さんが編集した写真をコピペ。 白黒写真に着色した画像     ​​​​ 前回、〘 大夕張つれづれ # 112 コクワ 〙を投稿したら、飯田さんが、Kawauchi  Masami  さんの、〘 大夕張春夏秋冬 〙をコメント欄に貼付けてくれていたので、改めてそれ…
コークス工場のにわかプール|小林光志 思い出ばなし

コークス工場のにわかプール|小林光志

 昭和30年前後、私が小学生の頃、栄町のプールは、自由に使用できませんでした。  開放日には、大夕張中の人が来るので、手足を伸ばして泳げませんでした。   なにより期間が短かったので、もっぱら洗炭場の上や、いそじろの沢などで泳ぎました。      しかし、秘密の場所がありました。     それは、コ…
緑の中の大夕張駅 | 野口美代子 思い出ばなし

緑の中の大夕張駅 | 野口美代子

 懐かしの写真の中に、大夕張駅を見て本当に帰って来たと思いました。   停車場(昔私が子供の頃、年寄達は駅のことをこうとも呼んでいた気がします)は人を見送って、見送られ、又会っての繰り返しの場でした。  大夕張駅は、ただただ別れの駅になってしまいました。   札幌へのバスが通るようになって、バス停が…
熊撃ち 楽しかった日々

熊撃ち

 昭和30年代  撮影の詳細は不明だが、鹿島小学校郷土室にあった写真。    戦後、栃木の男ばかりの6人兄弟の末っ子だった父が、三菱大夕張に就職がきまり、家族に「北海道には熊がいるのに、どうしてそんな危険なところへ行くか」と猛反対を受けた、という話を、母がよく父や私たち兄弟のいる前でも話していた。 …
大夕張は遠い昔|橋本明夫 訪問記

大夕張は遠い昔|橋本明夫

昭和61年(1986年)7月11日~13日 大夕張 いつか訪ねたいと思っていた「大夕張」。やってきました。その日が。 空の旅は快適そのもの。千歳空港は立派だ。空港ターミナルから千歳空港駅へ。ホームで特急電車を待つ。『寒い』。弁当を買いながら聞いてみる。「いつもこんなに寒いのですか」 「今年は特に寒い…
小生の家の小さい果樹園 |ノリ 佐々木 随想

小生の家の小さい果樹園 |ノリ 佐々木

 小生、大夕張の思い出のカリンズ・グズベリ、グミ等の果樹を、小さな庭に植えて、当時を懐かしんでおります。  霜が降りたら「コクワの実」が丁度、美味しく、良く近所の悪ガキと一緒に、便所場球場の山に、収穫に行きました。  他に、山葡萄、胡桃等も取りましたね。  内緒ですが(時効?)、弥生町の端の坂道の下…
大夕張春夏秋冬|Kawauchi Masami 思い出の記

大夕張春夏秋冬|Kawauchi Masami

 春  雪が解けて、道の端っこに、冬の間、犬がした糞が出てきます。  中学の通学のとき、突っぱねを上げない様に歩くのですが、それでもズボンの後ろに、跳ね上がった泥を付けてしまいました。  小学生の頃、雪が解けて道が乾き始めると、自転車に乗るのが楽しみでしたね。雑草は黄色い芽を付け、水仙の花が早めに咲…
昭和48年大夕張駅 思い出の街角

昭和48年大夕張駅

閉山間際の大夕張駅。 こんなお盆があればなあ   【斎藤 敏幸】  社会に出た後,数回でいいから,こんなお盆を迎えることができたなら,本当に良かったのになあと,今でも思います。 お盆になると,都会へ出て行ったこの街の子供たちが,家族を連れて両親のもとへと帰ってくる。大夕張の人口が一気に膨らむ。同窓会…