楽しかった日々 昭和26年 NHKのど自慢 協和会館でのNHK全国のど自慢コンクールの一こま。 バック幕に貼られた文字によると、『南空知予(選)』と読める。 違う場面ではあるが、同じ日の一コマが大夕張炭労の解散誌にも載っている。 解散誌に掲載の写真は歌唱シーンである。 そして、そこに「昭和26年1月18日 成人祭記念」とのキャプション… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代 協和会館 昭和6年に建てられた礦業所の施設、従業員の慰安娯楽にも使用され、昭和15年頃の絵葉書には、『娯楽殿堂』の文字がうたわれる。 昭和32年には大きな改装工事を受けた。閉山近い昭和40年代の協和会館。 昭和15年頃の絵葉書の中の協和会館 https://ooyubari.com/202… 続きを読む
思い出の街角 協和会館 天井には、柔らかく煌めくオレンジ色の照明。 座る椅子は、少し硬いが板の、はね上げ式の椅子。 映画の楽しさを教えてくれた場所。 会館前の看板に映画ポスターが見える。 右からの順になっている 23~24日 上のポスターは、これだけでは残念ながら文字が潰れてしまってわからない。 下のポスターは、 昭和44… 続きを読む
思い出ばなし 映画館(協和会館)| 野崎昭雄 大夕張の映画館、1軒だけは、記憶しております。 駅前から春日町へ向かって行った左側にあったと思います。 鹿島小学校の学芸会で、この映画館の舞台を利用したはずです。 ここで見た最初の洋画は、ゲリー・クーパー主演の「遠い太鼓」でした。 たしか、炭坑に勤務している家族と、それ以外の者では入館料が違ってい… 続きを読む
思い出の街角 改装前の協和会館 昭和20年代と思われる。 。 協和会館は、昭和6年に建てられ、その何度か改修工事が施されたきたようだ。 昭和32年に改装される様子がこちらかみることができる。 それ以前の改装される前の協和会館。 駅前から続く通りも未整備で、水たまりが多い。 その道をランドセルを背負った子どもたちの通学途中の風景にも… 続きを読む
街の行事 協和会館 戦後 昭和20年代後半か。協和会館の東側に昭和30年に建築される代々木アパートがまだない。 写真の協和会館は、昭和32年に改築、改装される。 協和会館前。標語塔には、『続く保安に輝く記録』『増産は一人一人の保安から』とスローガンが書かれている。 改装後の協和会館の写真には、この標語塔は写っていない… 続きを読む
思い出の街角 協和会館 掲示板前 『第34(?)回メーデー』と書かれたポスターに見入る中学生。第34回なら、1963年(昭和38年)5月。 掲示板の前にポスターが立てられ、多くの人達が集まっている。近くの大人達が巻かれた組合旗らしきものをもっている。 メーデー行進の前後の風景だろうか。ここは、労働組合事務所の前でもある。 … 続きを読む
楽しかった日々 三田明ショー(協和会館) 昭和40年頃 協和会館で行われた『三田明ショー』 白黒写真に着色した画像 協和会館の三田明 大夕張に来た有名人【飯田雅人】 有名人と一口にいっても難しいですが,いろんな分野からあげていくと,昭和12年 書道家小寺仙峰,昭和22年 書道家金丸悟舟,昭和31年 宗教家賀川豊彦,昭和32年 大相撲横綱… 続きを読む
思い出の街角 昭和32年 改装中の協和会館 大夕張労働組合解散記念誌『未来に向かって』より。6月から10月頃にかけて改装工事をしたらしい。後ろに新築後2年目の代々木アパートが見えています。… 続きを読む
思い出貼 労働組合の大会(協和会館) 昭和40年頃 炭労の大会。 協和会館 【飯田雅人】 私の小中学生の頃の記憶の協和會館は怪獣映画と植木等のサラリーマン映画,森繁の喜劇映画という映画の思い出そのものですが,様々な行事や催しがここで行われていました。 組合の各種大会,芸能人のショー,中学校の合唱団のコンサート等々の催事。 … 続きを読む
昭和 1931年(昭和6年) 1月 26日,大夕張郵便局,電信電話通話事務取扱を開始。 大夕張第1斜坑採炭開始。 4月 10日,大夕張尋常高等小学校第2代佐々木久五郎校長。 6月 13日,曹洞宗大夕張説教所(大聖寺)千年町に創立。(昭和3年炭鉱開発されたとき,当時南部の説教所で布教していた初代鉄山和尚が会社の要請によって,昭和6… 続きを読む