思い出の街角 昭和7年と昭和45年健保会館(武徳殿) 昭和7年の武徳殿 昭和45年の武徳殿 健保会館は三菱の福利厚生事業の一つとして建設されました。昭和7年に労協調機関として協和会が設立されてすぐ大夕張にも武道,運動の場として建設されたようです。昭和9年頃の武徳殿はまだ周囲も整備されてなく草創期を感じさせまが,昭和45年頃の私が知る武徳殿の前庭は花壇や… 続きを読む
昭和 1932年(昭和7年) 2月 採炭方式変更(V型採炭法)。 4月 2日,『協和会報』(三菱大夕張礦業所発行所。 阿部金作発行人)発刊。月1回不定期発行。 6月 2日,夕張町会議員選挙。藤井賢造,成相淑,有江忠五郎大夕張から当選。 7月 16日,大夕張郵便局局舎新築移転(名取沢右岸) 9月 宝沢道路工事着工。 10月 20… 続きを読む
パノラマ 昭和7年の大夕張全景 昭和7年の街並み。富士見町、線路を挟んで栄町の炭砿住宅が写っています。富士見町の住宅もまだまばらです。右手奥には昭和3年の開校間もない大夕張尋常高等小学校、手前には倶楽部と独身寮らしい建物も見えています。線路には大夕張駅を出発した運炭列車が通洞(大夕張炭山)駅に向かいます。 『三菱鉱業社史』から &… 続きを読む