思い出の街角 三菱バス車庫と炭砿病院 昭和45年頃。 海抜318メートルにある街の上空半分を低く垂れ込めて覆う厚い雲。 雲の合間からさす強い陽射しがまぶしい。 大夕張の暮らしを思い出す。 白黒写真に着色した画像 バス車庫の思い出など 【飯田雅人】 黒い雲がおおう空。影できていることがから日差しはあるよ… 続きを読む
広告 広告 -三菱バス- 昭和45年頃の住宅地図に掲載されていたもの。 炭砿病院横にあった三菱バス大夕張営業所の広告。 快適な旅行 三菱の大型バス 三菱バス 大夕張営業所 鹿島1番地 TEL大夕張1(35) 三菱バス山内線開通の日。 https://ooyubari.com/2020/01/29/… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 三菱バス 大夕張営業所 病院横にあった三菱(鉱)バス 大夕張営業所。昭和40年代 白黒写真に着色した画像 屋根の大看板『三菱(鉱)バス』の文字。営業所前の『くろゆり号』 … 続きを読む
運んだ、石炭を人を 三菱バス 車庫前 大夕張営業所の車庫前の二台のバス。青・赤・黄緑・白のカラーの三菱バスなら、自分は札幌線のバスの印象だ。 昭和44,5年、中学生の頃、だろうか。『車庫前』を利用していたことがある。 山内線ではない、『札幌-大夕張』の間を利用するときだった。 特急札幌線は、『大夕張駅』が発着だったので、『車庫前… 続きを読む
思い出の街角 三菱バス 大夕張営業所 昭和43年頃、新塗色のバス(左)と、旧塗色のバス(右) 炭砿(ヤマ)内を走るバスは。山内線、山内バスと呼ばれ、『中学校前行』と『明石町行』があった。 自分の記憶の中では、山内バスというと、写真にある右側の『灰色』中乗りのバスを連想する。 もともと始発は、『礦業所前』だった。小さい頃は、… 続きを読む
楽しかった日々 三菱バス営業所の車掌さん 昭和45年頃(1970年頃) 車庫でバスの汚れ落としの合間のスナップだろうか。砿業所の建物が車掌さんの肩越しに見えています。バスの窓下の帯からは、「三菱(鉱)バス シューパロ」の文字。… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 山内バス開通式 昭和31(1956年)年9月6日、炭鉱病院横の、車庫で大夕張地区内を走る山内バスの開通式が行われました。 当時三菱美唄鉄道バス。 昭和36年に、三菱鉱業バスと名称変更。 当時、大夕張地域を走るバスを「三菱バス(みつびしばす)」と呼んでいました。 秋晴れの午後の開通式。 カメラマンの足下の影が長く伸び… 続きを読む