思い出の街角 改装前の協和会館 昭和20年代と思われる。 。 協和会館は、昭和6年に建てられ、その何度か改修工事が施されたきたようだ。 昭和32年に改装される様子がこちらかみることができる。 それ以前の改装される前の協和会館。 駅前から続く通りも未整備で、水たまりが多い。 その道をランドセルを背負った子どもたちの通学途中の風景にも… 続きを読む
思い出の街角 炭焼き小屋の前で 昭和20年、下夕張(旭ヶ丘)開拓地。 筵を敷き動物の毛皮の上に座り、くわえ煙草。 赤ん坊を抱っこして、蓄音機を並べた写真撮影。撮影は、当時大夕張でただひとつの写真屋だった、加川さん。 写真屋さんがくるというので、珍しかった蓄音機をわざわざ持ち出して一緒に撮ってもらったという。 悠然と… 続きを読む
思い出の街角 千年町市街 昭和4年の大夕張炭砿の北部(現鹿島)開砿に伴い,南大夕張の商店が移転してきました。 三菱が土地を区画し,一戸当たり,間口4間,奥行き12間として営業地および営業種目を指定し、1商店3戸分まで借地することができたそうです。 ちなみに当時の地代は坪当たり6銭3厘だったということです。 入植当時の… 続きを読む
思い出の街角 炭砿病院 昭和20年代でしょうか。病院も新築してから間もない様子。整備されていた病院前の花壇もまだ整備途上にある様子です。 病院というと、普通は事故や怪我、病気など印象の良くない場所であろうと思います。 自分にとっては、薬剤師であった父の職場でもあり、父の入院先でもあり、最後を迎えた場所。小さかった自分… 続きを読む
昭和 1945年(昭和20年) 4月 1日,旅客運賃改正。粁当3銭。大夕張~新清水沢50銭。 三菱大夕張鉱業所盤沢中国人労務者宿舎より伝染病ペスト発生。5人全員死亡。5月 6日,農場前臨時乗降場(s25より明石町駅)開業。8月 6日 米軍機40機が夕張上空を通過8月 15日,終戦。9月 1日,鉄道課設置。資材倉庫に事務所。(初代鉄… 続きを読む
山史 第1編沿革 第5章 鉄道課独立 第5章 鉄道課独立 1、 鉄道課独立 当鉄道の業務形態は地方鉄道として発展後も、運炭課、工作課及び経理課等に於て夫々分担執務せしが、地方鉄道の運営上欠陥ありとして監督官庁より示唆もあり、社内的にも鉄道課設置の気運が騰まり、たまたま終戦という障害発生せしも 昭和20年9月1日付をもって 鉄道課設置、… 続きを読む