昭和45年千年町駅前の通り

20190

 昭和45年頃の千年町駅前の通りで、バス通りの裏通りにあたる。

 願正寺の向かいの郵便局や交番のある商店街のバス通りは、酒屋や飲み屋、商店が軒を連ね、中学校行きのバスが走るメインストリートだったのに対して、病院、床屋、新聞店、風呂屋などの生活のにおいがする通りだった。

 昭和43年の地図では、右手前から、『今井葬祭店』、写真に写るサインポールのある『チトセ理容所』看板のかかる『ポーラ美容院』,そして『ヒカリ家具』となる。

 ちなみに今年88歳になった叔母の話では、今井葬祭店には、同級生がおり、よく家で一緒に勉強していたそうだ。その店先にはいつもきれいな花がいっぱいに飾られていたという。

  

 左手前には,『河野歯科医院』。その隣が『井出組』となっているが、『ブリジストン エバーソフト』の看板がかかる。ブリジストンが売り出した寝具用の素材としてエバーソフトは、マットレスや枕に使われたという。

 どうやらここは、布団店のようだ。

この通りの突き当たりに見えている建て物、千年町航空写真と住宅地図を参照に考えてみたが、『千歳湯』だろうか、確証はないが、ちょうど『く』の字にまがる角にある建物のように思える。

 覚えがある方はいるだろうか?

 

白黒写真に着色した画像
昭和45年 千年町駅前の通り

 左手前の建物は、自分たちの年代にとっては、『河野歯科病院』としてよく覚えている。1997年頃、この建物が取り壊しになる直前に写真もとった。

 幼少期の頃、『河野歯科医院』には、よく通った。

 前歯に広い隙間があり、俗に言う『すきっ歯』で、親が歯の矯正に通わせてくれた。けっこう長いこと治療をうけていた。

 ここでは、ブルドッグが玄関の側の犬小屋で飼われていた。怖い顔に圧倒されておびえながら入っていた記憶がある。ブルドッグという犬は、大夕張で初めてみた犬種だった。

  

 歯科に通っていた頃には、思ってもみなかったことだが、実は、この建物は、大夕張の草創期から存在していた建物だった。

 昭和3、4年のころ、千年町は、商業の町として、商売をやっていた人達が礦業所の承認を受けて、この地に入った。

 鉄道敷設などの土木工事を請け負った『大井組』の大井鉄平氏がここに入り、事務所兼住居としていた。

 『河野歯科医院』だった建物は、廃村前には、個人の住宅になっていた。大夕張の最初から最後まで、町とともに存在し続けた建物だった。

昭和43年住宅地図 千年町駅周辺
昭和43年住宅地図 千年町駅周辺より

 最後に『昭和61年(1986年)大夕張の面影』の映像の中にも、一瞬だが同じ構図の場面が映る。下はコマ送りで、スクリーンショットをとったもの。下にリンクを貼っておくので、こちらの映像もぜひ、ご覧下さい。8:46あたりからの千年町の映像で見られます。

『 昭和61年(1986年)大夕張の面影 』からのスクリーンショット

Kazutoshi Nagamine
Kazutoshi Nagamine

 風呂屋は馬屋原の銭湯です。

 40年代にリフォームしています。

 ブルドックも馬屋原さんで飼っていたはずです。

 歯医者の隣りは布団屋?では。

 この坂道を下ったところに小生の実家がありました🐣

(2021年4月8日)

 河野歯科は、私の曽祖父母が大夕張に入植した時に住んでいた家です。

 お隣は今布団店、向かいは今井葬儀店だったと思います。

 曽祖母は昭和47年12月に83か84歳で他界しています。

 閉山の前の年です。

 私が小6の時でしたので、色んなことが記憶に残っています。

 馬鉄で活躍した(?)曽祖父は、私が生まれるずっと前に他界しているので、母の話でしか知ることができませんでした。

 その母も今はもういないので、昔の話聞ける人がいなくなってしまいました。

(2021年4月8日)

福山 美佐子
福山 美佐子

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