泉町10周年

14020

昭和42年 泉町の開町10周年の行事が行なわれた。

 

白黒写真に着色した画像

 

町内会の役員(南さん、久々湊さん、杉村さん)を先頭に。

南さん  【久々湊眞一】

 泉町開町10周年の記念行事。後ろには鹿島小学校の裏手,緑ヶ丘の住宅がわずかに見えています。

 南太吉さんは、向って右側の先頭を歩いている人です。隣には、うちの親父(久々湊正一)がいます。

 少し後ろを離れて、杉村クリーニング店のオヤジさんが、俯きかげんに歩いています。

 皆んな、鬼籍に入られました。


伯父一家  【山本 栄子】

 南宅は 伯父の家です。 伯父は町内会長?だったかな。 私は弟と 両親が札幌に出た後 この伯父宅にお世話になりました。

 伯父一家には大変大変お世話になりました


泉町の砂利道  【飯田雅人】

 

 ちょうどこの写真の頃だと思いますが、できたばかりの宝沢の暗渠の砂利道を、鹿島中学校の教員だった石井のおじさんにつれられて千年町の教員住宅に行ったことがあります。

 

 小学生の頃、父が炭砿病院に入院していた時期があり、しばらく千年町の教員住宅でお世話になっていたことがあるので、その時かもしれません。

 

 当時、伯父は、100ccくらいのバイクに乗っていて、「まーちゃん(私のこと)、のせてやるから、行こう!」といってくれたのです。生まれて初めてバイクに乗ることができるのでもちろん大喜びでした。

 

 富士見町から千年町に行くのに、なぜ岳富町の方を通らないで、こちらの道を通ったのかわかりません。

 

 伯父のバイクが走り出すと、タイヤがはじく砂埃を風が巻き上げ、目は痛くなるし、ガタガタと揺れるバイクは今にも倒れそうな気がして不安でたまらず、伯父の腰に両手でしがみつき、体を飛ばされないように必死の思いでした。

 

 千年町の教員住宅のブロックにどのようにたどり着いたかは、ほとんど覚えていません。この泉町の砂利道の恐怖の思いだけが、バイクの思い出とともに残ってしまいました。

 

 それ以来、私は、バイクに乗せてやると言われても、決して、「うん」といったことがありませんでした。


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