岳富町商店街と「しがい」
2022-03-17
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「しがい」とよんでいた千年町。
その千年町と大夕張駅方面を結ぶ岳富町。昔の人は宝沢と呼んだ。
千年町との往来には、この沢を埋め立てた道を歩いた。
戦後鉄道の築堤沿い建ったバラックの商店は昭和30年代立派な商店街となり、「岳富町」となった。
千年町方面のことを、子どもの頃「しがい」と呼んでいた。
千年町に行くことを何気なく、「しがいにいってくる」と話していたようだ。もちろん頭の中で「しがい」を漢字に変換したことなどはなかった。
周りにもそれで通じていた。
商人たちが入って栄えた千年町。
多くの商店が集まる地域の中を中学校に通いながら実感的に、「しがい」の意味を『市街』なのかなと思いようになった。そのことを、周りに確かめたことはなかった。
幼かったころ、子どもの生活圏外である『市外』としての意味をかぶせて理解していた時期もあったような気もする。
昭和43年の住宅地図による商店街の配置は次の通り。
上の写真は、昭和48年以降のようだ。
リンク先の写真は、反対側の大夕張駅側の坂の上から見たものだが、同時期と思われる。
地図に写真屋がないけど この時 すでに無かったのかな?
『岳富町の写真屋さん』
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写真屋さんといえば、『加川』さんでした。ちょうど、写真右端の『八幡商店』の右、少し奥まってありました。
大夕張が閉村になる平成10年頃まで当地で暮らしていたと思います。