別世界

22915

 昨年、父の50回忌と母の3回忌の法要をすませた。そして今年、自分が大夕張を出て50年。

 

 「区切りの年として、大夕張に行こう」と思ったものの生来の不精者故、のびのびになっていた。

  

 今年になって3月9日10日、天気予報は、気温が上がり好天が続くと聞き、「父と母を連れて大夕張に行ってこよう」と唐突に決めた。

 

 その日、持病の月イチの定期検診の日で、その足で行こうと思った。(家に戻るとまた気力が萎える・・・)

 朝から父と母の遺影を準備し、診察を終えたその足で、寄り道をせず高速にのり90分、大夕張に行った。

 

 南部のトンネルを抜ける。

 トンネルの出口に、展望のきく駐車スペースが雪の壁を切り取るように設けられていた。

 

 澄んだブルーの空と真っ白い雪の絨毯の上に、前岳と並んで聳える夕張岳。

 写真ではみていたが、スケールが違った。さすがに、巨大なスクリーンに映し出されたかのような迫力で目の前に飛び込んできた。そこから見る光景はあまりにも美しかった。

 時間を忘れて「初めてみる」その景色に見入った。

 

 とにかく、あの「前岳の後ろに夕張岳がひかえる大夕張」まで車を走らせた。

 かつて高い橋脚の下を走って向かった道を、今はその橋脚の上にできた道路を走る。

 

 

雪の壁の向こうは確かに家や道路があった。街路樹だった木々が生長し林立する。

  

 富士見町の台地が見えるあたりまでいってみた。

 子どもの頃みた、裏の山からみた視線と同じような高さだ。

 

Googleによる写真の位置情報

 正面には住宅炭砿病院の建物が見え、鉱業所事務所や富士見町の住宅があっただろう。

 

 平日の午後12時前後の時間帯、交通量もほとんどない。

 ここで夕張岳に向かって父と母の写真を出し手を合わせた。

 そこからUターンして、今度は左手に夕張岳を見ながら、南部に向かって走る。

 

  

 ときどき、路肩に車を止め、降りて位置を確かめた。

  

 しかし、どこか見覚えのある景色にあっても、自分がどこにいるのかがわからなくなる。もどかしさと、落ち着かない困惑した気分・・・。

 

 西側の山にそって、かつての町の周縁をたどりながら、鹿島小学校の裏の崖、錦町(泉町)に続く宝沢の崖のあたりまでは、なんとか場所の見当がついた。

 このあたりまでが、姿を見せている土地なのだろう。そこから先は、一面真っ白で起伏のない平坦な雪原のようになっていた。

 旭沢の鉄橋も、明石橋も雪の中で、上の方だけ姿を表していた。

 

 雪が溶けるとこのあたりはまた別の景色をみせるのだろう。

 

 位置を確かめながら、知っているのに見知らぬ土地を訪れた旅人のような気分になった。ただ夕張岳だけが、そこにあるから、確かにここは自分の故郷だったと思える。

 その夕張岳が見せる姿は、ただただ美しい。

 

 ここは別世界だと思った。夕張岳が支配する荘厳な自然の大地には、人をもう容易に受け入れないのだと感じる。

 それでも、山の神様が支配する天地に、故郷の痕跡を見つけ、自分が今いる場所を確かめ訪ねるのもまんざら悪くないなと思えた。

 

 帰り際、助手席においた写真が目にとまった。二人ともこの景色を見て喜んだだろうか、話をすることができたらなんと言っただろうか。

 

(2022年3月21日 記)

 


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