道路開通記念碑 (鹿島眺望公園)
碑文
道路開通記念碑
昭和三十七年十月六日建立
場所は、夕張東高跡地の鹿島眺望公園内にある。
かつて、シューパロ湖畔の公園にあったが、夕張シューパロダムの完成とともに整備された公園内に移設された。
碑の大きさは、『高さ180cm×幅141cm×奥行68cm』で、かなり大きい。
人の背丈ほど以上の大きさがあり、鹿島白金産出の自然石を使用している。
文字は建立当時の大夕張礦業所の岩間正男所長の筆によるもの。
昭和4年三菱大夕張炭鉱が石炭輸送のための鉄道を敷設した。
それまでは南部-大夕張間は、急峻な斜面の沢が続き、山越えの獣道のような道しかなかった。
鉄道ができて以来「人命は保証せず」との乗車券で、住民も乗車することができた。
陸路はそれ以後もなく、唯一の交通手段が鉄道であった。
昭和23年に清水沢-大夕張間の拓殖道路に指定され、国費で開発が始まった。
囚人150名、30名が入っての道路開削、最初に『清水沢-遠幌』間の延長3.6kmが幅員4.5mの道路が完成した。
その後も順調に進み、昭和26年に工事は北海道開発局に引き継がれ、ついに昭和37年10月6日に竣工した。
30有余年の念願かなった住民の喜びも大きく、音楽隊の演奏、旗行列などのパレードや記念行事の開催で、町をあげて道路の完成を祝った。
その様子は、今もビデオの映像や多くの人たちの文章や記憶の中に残されている。
ところで、この碑のデザインは当時鹿島支所に勤務していた建設技師槇森氏で、湖畔道路沿いに見える夕張岳・前岳を表現したものであるという。
そう言われてみると、写真「道」の字の左横、鋭く尖った前岳の頂上から右下にかけて稜線が幾重に重なり、碑の最上部は台形の夕張岳の姿にみえる。
たしかに夕張岳と前岳の姿をイメージできる。
あらためて人間の「想像力」に感心・・・。
その夕張岳、前岳を背景に立っていた以前の「道路開通記念碑」だが、今は、南部の町・ダム方面を背に立つ。
現地に行った際は、確かめてみてはいかがだろうか。
(この項、参照『夕張の碑』1989年11月発行)
昭和48年、移設前の道路開通記念碑の姿。
そして、現在道路開通記念碑がたつ鹿島眺望公園の碑のマップ。