2丁目3番地 2001年10月28日 ~私のふるさと物語~その4 当日を迎える迄に、何回か、番組製作会社の方と連絡、打ち合わせをした。 自分の役割はたぶん当時のネットでつながっていた仲間の人たちに、人を大夕張に集まるお願いをしたというところだろうか。 先にも書いたが、どんなことを打ち合わせて、自分が何をしたのかはすっかり忘れてしまった。 それでも、自分も含… 続きを読む
2丁目3番地 2001年10月28日 ~私のふるさと物語~その3 この大夕張のロケの発端や、自分の詳しいかかわりなどは、20年前のこととて、すっかり忘れてしまった。 ただ大夕張がダムに沈むということで、当時は『消える大夕張への思い』が、各種メディアで盛んに取り上げられ報じられてていた。 下の新聞記事は、故郷への思いをテーマに、自分も取り上げられた… 続きを読む
2丁目3番地 2001年10月28日 ~私のふるさと物語ロケ~その2 午後11時頃、最初に、鹿島小学校校歌の歌唱シーンの収録から始まりました。 鹿島小学校鼓笛隊生みの親、田中豊一先生(田中先生は2010年にお亡くなりになりました)のピアノ伴奏に合わせて、「ああ、大夕張」の合唱がグラウンドに響きます。 イリュージョン。かつての大夕張駅前通り。元住民達が懐かしそうに笑顔で… 続きを読む
2丁目3番地 2001年10月28日 ~私のふるさと物語ロケ~その1 平成13年(2001年)10月28日、住民が立ち退き人のいなくなった無人の大夕張に、多くの人が集まった。その時のことを当時参加した斎藤敏幸さんが、後日、次のように書いている。 10月28日、大夕張に一つの奇跡が起こりました。 その日、鹿島小学校校庭に、50人以上のかつての子どもたちが集まり… 続きを読む
随想 土屋先生|成松泰彦 『2001年10月28日 私のふるさと物語』 昨日のロケで鹿島小学校グランドに行ってまいりま した。 終日、夕張岳が僕らを雨から守ってくれ顔を出してくれていました。 お祭りの時に、でみせが出店していたように体育館の下の道端には久しぶりに車・ 車・車・・久しぶりに賑わった大夕張。その数100名。 そし… 続きを読む