大夕張掲示板
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思い出やエピソードなどは、『思い出貼』をはじめ、各写真や記事のページで残すのが良いと思います。
ここでは、それ以外の、連絡、メッセージ等、気軽にお使いください。また、このページの作成にかかわるMasaが、その時々テキトーにつぶやく場にも使っています。
画像その他資料を5MBまでアップロードできます。Attachment-「ファイルの選択」ボタンから送ることができます。ご要望があればそれ以上でも対処できますので、ご連絡ください。
サイト作成にご協力いただける方は、その旨ひとこといただけると嬉しいです。
コメントへの「返信」は各記事から、「新規投稿」は一番下からどうぞ。
尚、投稿の件数が、50件を超えると、新しいページが作成されます。
以前のページは、ページをスクロールしていくと表れるコメント欄の左上にある「以前のコメント」をクリックすることでみることができます。
以前も使ってたPhotoshop、最近また使いはじめた。
彩り鮮やかに蘇る古写真が面白くてネットでAIによる色づけをしていた。
でも、やっぱり細かいところに手が届かない。
有料のソフトウエアによるものでも同じだった。使い方のせいかもしれないけれど。
Photoshopで色づけをしてみると、案外うまくいった。
慣れてきて作業にかかる時間もたいぶ短くなった。
いっぺんにとは、いかないが、古写真のカラー化も少しずつ、手を加えていきたいと思う。
こん〇〇わ!海も好きです。
この写真は、明石町から昭和49年5月頃に撮ってます。
開拓と言うか、白金方面へ行くために渡る橋だと思います。
時期的には、三菱大夕張鉄道のSLも廃止になり、
夕張線清水沢駅へ国鉄のSLを撮りに行った帰り道に
撮った写真ですね。渡った事がある方も多いのでは・・・
今はこの橋も新しいダムの下に水没したのでしょうかね?
↓海も好きのブログ「煙の記憶」
https://umimosuki623.blog.fc2.com/
こんなに水位が上がってることがあったんですね。驚きです!
白銀橋は、大夕張に帰るとき、シューパロ湖畔を過ぎると、この橋が見えてきて、「大夕張に帰ってきたな」「もうすぐ明石町だな」という気持ちになったことが心に強く残っています。
今では、ダムの水位によっては、時々顔を出すようです。
(私もネットの写真でしか、今の様子は知りません)
↓の写真は2002年の秋ですが、水位としては、こんな感覚でいました。
あたらしい風景をみたような気がします。
カラー写真だと色が分かりますね!確かに、クリーム色だった事を思い出しました。
やはり記憶より記録だなぁ~って事を、自身のブログをやりながらも思ってます。
ところで、橋のアーチの上の山肌に林道が有るのが分かりますか?
鹿島中学の裏手から林道みたいのがあって、白金の向こう側に通じてたと思うのです。
某クラブの練習で、鹿島中→林道→白金橋→明石町→千年町→鹿島中を走らされた記憶あります(笑)
そんな事も忘れてましたが、たった一枚の写真ですが記憶を蘇らせる力がありますね。
↓添付の写真は同じ日に、フキノトウを入れて撮ったものです。
『ふきのとう』天ぷらにして食べた覚えが・・。春先には、『つくし』も収穫のお手伝いをして、食卓にのったことも覚えています。写真からいろいろな連想が広がる、そんな楽しみ方ができるのは、嬉しいですね。記録しておいたくださったおかげです。当時は、小さかったせいか、日常の風景を写しておこなんて気持ちがありませんでした。今となっては、貴重な風景です。
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林道・・・昭和43年の落橋事故の為、急遽鹿島中学校の裏から、開拓方面に向けて道路をつくったと聞きました。
落橋事故は、中学校1年生の頃であり、クレーン車の運転手がなくなり、新聞にものったので、よく覚えています。
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コースはハードなコースですね。某クラブはスキー部かな?なんとなくですが笑。
大夕張に住んで居た方々ならば、あまりにも見慣れた風景ですよね。
大夕張へ向かう列車がシューパロ湖畔を過ぎた頃、天気が良ければ右手に広がりました。
ネガの前後関係を見ると、清水沢駅へ国鉄のSLを撮影行った帰りに撮影してます。
確か、大夕張~清水沢で14kmあったと思うので、往復30km程を自転車で爆走してますね。
今なら脚がつって、その半分でも無理だと思います(笑)
昭和49年、残雪の夕張岳です。
透き通った空気が伝わってきます。
太古から大勢の人たちが、いろんな思いで眺めててきた(いる)姿ですね。
いつ見ても美しいです。
最近記事数が多くなったので、もっぱら『検索窓』を利用して、記事を探すことが多い。記事のありかがわかっている場合は素直にメニューから行く。例えば、『散歩道』の町内地図関係は、メニューからたどり着いている。
『検索窓』は、記事の題名、本文の語句を拾ってくれるので、便利。ただ、複数語で検索できないのが、ちょっと不便。
語句によっては、複数ページに亘る記事を表示するので、そこから探すのはちょっと煩雑。
これから記事がますます多くなってくると、1語検索では、きびしくなってくるような気がする。
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もう一つ、『タグ』で検索刷る方法もあるけど、これは、「2丁目3番地」を始めた時に『西暦・和暦』と、町名を入れるという方針だったけど、いつの間にか、あいまいになってしまった。今は手をつけらないけど、今後の課題・・・。
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なんとなく、掲示板の記事にもイラストをつけてみた。
先日探していた大夕張幼稚園のアルバムがクローゼットの奥から、紙袋にはいって出てきました。
ここ10年ほど、どこにしまったのかすっかりわからなくなっていたものです。
それと一緒に、祖父のアルバムと、父のアルバムが入っていました。
祖父は昭和13年~昭和32年まで、父は、昭和22年頃~昭和47年まで大夕張で暮らしていました。
そちらのアルバムの写真も今後、『2丁目3番地』の方で掲載して行きたいと思います。
・・・それにしても昔のアルバムは表紙が分厚く、がっちりしています。
写真は、薄くなり、さずがに、折り目の糸がほどけ、だいぶあやうくなってきました。
『卒業アルバム』の検索語で、関連ページを表示させました。
鹿島地区にあった学校は、あと、奥鹿島分校・夕張東高校・聖心幼稚園がありました。
聖心幼稚園は、このようなアルバムはなかったようです。卒業(保育)証書が大変りっぱなものでした。
夕張東高は、以前どこかで見たような気がします。
奥鹿島分校は、親学校が、鹿島東小時代、鹿島小学校時代と、親学校と一緒だったのでしょうか。
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もし、卒業生の方で、卒業アルバムをお持ちの方は、ぜひ情報をいただければと思います。
↓
https://ooyubari.com/?s=%E5%8D%92%E6%A5%AD%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0
【各記事下のシェアボタンについて】
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各記事の下にフェイスブックのシェアボタンがついています。
自分はこれを使って、フェイスブックの投稿に使っています。
ですが、今日は、エラーが出てうまく機能しません。
リンクのコピー&ペーストで対応しましたが、これまでにも、時々、このようなことがあります。
多分フェイクブックの方に何らかの事情があるとおもいます。
ほとんど1日程度で、また元通りになっていました。
今回も同じような現象だと思いますが。
こん〇〇わ!
当方のブログでも紹介しておりますが、大夕張駅前の風景も写ってますのでUPします。
撮影時期は昭和48年夏頃ですね。
この頃は、蒸気機関車のいわゆるSLブームと言う時代があったのですが、
TVでは「走れケー100」と言う子供向けのドラマがありました。
そのロケのために、遥々大夕張まで来た時に写したものですね。
実際のロケは、大夕張炭山駅の方で撮影されTVでも放映されました。
いま改めて見ると、大夕張駅って立派な建物で感心してます。
↓海も好きのブログ「煙の記憶」
https://umimosuki623.blog.fc2.com/
「走れ!ケー100」とは、鹿児島の鉄工所に放置された蒸気機関車のK100が、
かつて夕張の炭鉱で働いてた頃の機関士のおじさんに会いに向かう、みたいなドラマです。
K100のあらすじがとても良くまとめられた、きーぼー堂さんのブログのURLです。
↓興味のある方はこちらへどうぞ。
『コメント欄』について
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『ふるさと大夕張2丁目3番地』をぶらぶらと歩くのが好きだ。
『歩く』といってももちろん足を使ってあるくわけではない。各ページを見ていくのだが、そこに気がむいたらコメントを書きこんでいくのも一つの楽しみになっている。もちろん、投稿されたコメントも読むのが楽しみ。
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でも、書き込む度に思うけど、一度投稿したら修正できないのが難点。もちろん自分は、ここの管理人だから、その立場で修正できるのだけど、そうでなかったら、投稿して修正したいところが見つかっても、それができない。ちょっと残念な仕様・・。
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対策としては、いわずもがななんだけど、よく読み返して投稿するしかない・・・。
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私の方でわかるものは、管理人の立場で修正しておきますが、もし修正したいところがありましたら、メールでご連絡をください。
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コメント欄ですが、最近、訳のわからんリンクだらけのメール、要はスパムメールが日に何回かくるようになった。
もちろん表示は、されないのですが、手動で、いちいち消しているのも面倒になったので、ちょっと対策をしてみました。
そのため、『日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)』ということになりました。
このサイトで、そんな投稿ありえないと思うけど・・笑。
『散歩道』に『南部』を追加
メニューの『散歩道』に『南部』を追加しました。
『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)で昭和43年版の住宅地図を掲載したときから、開拓・南部について、項目だけあったのですが、掲載にはいたりませんでした。
鹿島開拓の住宅配置については、先日、平成9年3月に発刊されたふるさと誌『しろがね』から、掲載しました。
南部については、もともとの資料には、大夕張地区・南大夕張地区一体となって掲載されていたのですが、私自身、日々に流されて今の今まで掲載できませんでした。大夕張との歴史的なつながりは深いとはいえ、南部地区に住んだことがなく、あまり馴染みがなかったこともありました。
でもようやく、南部地区の住宅地図についても、今後載せていく準備ができました。
昭和43年の住宅地図です。私がもってる当時の資料等、全般に全部に言えることですが、紙は、時間の経過と共に劣化し、あと何年もつかわからなくなってきました。
デジタル化しておきたいという一念です。
飯田雅人さま、
鹿島小学校正面からの全景写真を発掘しました!
当方のブログ煙の記憶の進捗は、三菱大夕張鉄道から国鉄へ遷移しましたが、
時々は大夕張の風景は撮ってたようです。
添付の写真はネガの前後関係から、昭和48年頃と推察します。
たしか、左手の古い校舎のトイレに「お化けが出る」みたいな伝説があり、
肝試しで行った記憶ありますがどうでしょうか?(笑)
↓海も好きのブログ「煙の記憶」
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おお!
鮮明な鹿島小学校が。
玄関前のタイヤで遊んだことを思い出しました。そして、ころんで地面に足を打ち付け、痛みとともに、臭いがするので、膝を見て見ると、犬の○んちがべっとりついていたことも。
この時は、もうないように見えますが、木造校舎の左、階段があり、降りていくと大きなトイレがありましたね。
確かに、そこはには「昔墓場があり、おばけがでる」みたいな噂がありました。誰も見たという人はいませんでしたが笑。
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トイレがやたら大きく天井も高く感じ、薄暗いので、子どもにとって、気味が悪いといえば、まったくその通りでした。
〈宮内くん、代々木町で、住民登録ありがとうございます。。〉
これまでもそうでしたので、こちらの掲示板で、ご挨拶させてもらいます。
宮内君・・・当時、文(ぶんちゃん)と確か呼ばれていましたよね、自分もぶんちゃんと呼んでいたような気がします。
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鹿島中学校一年生の時、同じ生活委員になって帰り一緒によく帰りました。
その時、不思議と場所も覚えているのですが、鹿島東小学校の前あたりで、将来の夢の話をした記憶があります。
自分は、「自動車にのって、日本一周をしたい」みたいなことを言ったとずっと思っています。
それから、50年。
今、自分は、その夢は果たせず、代わりにあんなに小さかったはずの街、大夕張の記憶という漠としたものを求めて、ネットのあちこちをぐるぐると回っています笑。
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フェイスブックの写真を拝見するとお元気そうですね。
健康的な姿に、自分も刺激を受けて、この秋は、毎日一時間のウオーキングを日課とし、がんばっています😀。
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これからも、よろしくお願いします。
『A列車で行こう』
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『A列車で行こう』というゲームがある。『2丁目3番地』でも以前書いたが、ver3以降ハマって、久しい。PC98時代からだから、何年になるだろう。
鉄道会社の経営シュミレーションゲームだが、土地を作成し街づくりも出来るゲームである。
近年は、鉄道経営よりも、街づくりの方にもっぱら時間をかけてきた。
もちろん、ゲーム中に『大夕張もどき』の街をつくるためである。
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PC上でこれまでやってきたのだが、この夏に、PS4のソフトで『A列車でいこうexp+』がでたので、再度、『大夕張もどき』に挑戦中である。
PCで作ったことがあるのだが、データを喪失してしまった。
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二度目ということで、操作はすぐに思い出すことができ、直感とイメージで楽しみながら制作中である。
林鉄と、蒸気機関車が湖畔が走る日を楽しみにしながら、マウスをコツコツとクリックしていこう。
=
https://ooyubari.com/?s=A%E5%88%97%E8%BB%8A
【ちょっとした変更】
フェイスブックや、ツイッターと連携しながら、各ページを作成しています。
主にフェイスブックでのコメントを、大夕張の写真や、記憶と、あわせながら掲載させていただいています。
複数の方のコメントがある場合、会話形式にして、ワードバルーンというプラグインを使い、アニメーション化して表示させています。そんなページが結構あると思います。
セリフが吹き出しになって、横からびゅーんと飛び出してくるようなページです。
これも試行錯誤の一つなのですが、見やすさの点でどうなのかとも思い、アニメーションしないようにしました。
(なんたって読むこちらは動体視力が弱ってきてる・・)
落ち着いたページにはなったと思います。(地味になったとも言える)
メニューバー、カテゴリーの中に「資料室―交通関係」を設け、鉄道関係、バス関係の資料を移動しました。
https://ooyubari.com/category/siryo/kotu/
昭和48年12月15日、三菱大夕張鉄道のお別れ運転がありました。
その列車を撮影後、大夕張駅に戻り待合室で撮った写真です。
最後は清水沢までの三往復だったのが分かります。
当方のブログで過去に紹介した写真ですが、こちらの掲示板にもUPしますね。
大夕張駅の雰囲気は味わえるでしょうか?
↓海も好きのブログ「煙の記憶」
https://umimosuki623.blog.fc2.com/
昭和48年12月三往復ですか。石炭の搬出もなくなったあとは、地域住民の用途だったのでしょうね。
いつの頃からか(昭和40年代)、バス利用が中心になったので、昭和46年自分が大夕張を後にした時には、あまり気に留めていなかった。
発着の時刻を見ていると、いろいろ想像が巡ります。
昭和48年12月31日大晦日or昭和49年1月1日元旦の写真ですね。
三菱大夕張鉄道お別れ運転のネガで、後ろのコマなので間違いないと思います。
三菱大夕張炭鉱の閉山後、最初の初詣に行った時に撮ったのでしょう。
この場所は健保会館だと思うのですが、いつ頃からここで参拝するようになったか記憶にありません。
また何か発掘したらUPします。
写真を見た瞬間、大晦日の大夕張に飛んだような気がしました。感激しました。
大夕張神社は、閉山後、御神体が健保会館に納められたと、言います。
その一回目の大晦日だったのでしょうね。
雪深いこの街の中で生まれそだったのだなあ、とあらためて感慨にふけっています。
一番下の「月別投稿記事一覧」を見てもあきらかなように、ここ1ヶ月の新規ページは、一日に二回程となっています。
以前より、掲載のペースが落ちましたが、これは、引越し作業も順調で、残りデータを確認しながら、進めている(のつもりが、ついつい、読みながら『大夕張』に戻っている時間が多い・・・)のと、これまでのページを修正したり、新規のコンテンツを作るための時間がこれまで以上に多くなってきているからです。
「更新された投稿」(PCでは、右メニュー、スマホでは、下のメニュー)には、そのあたり、いじったページはすべて反映されています。
とほほなひとり言・・・
___
最近、ようやく写真掲示板のデータをときどきチェックしているのですが、現在みることができる、『ふるさと大夕張』の『1丁目1番地』にある写真掲示板は、2006年から運用を始めたものです。
現在でも2011年からの写真はみることができるのですが、過去ログに入ってしまった2006年11月から、2011年11月の写真は保存されないため、今となっては、永遠にみることができなくなってしまいました。バックアップもとっていませんでした。
2006年以前に、前身の写真掲示板を運用していたみたいで(すっかり当時のことを忘れてしまっている・・・)サーバーの中を漁っていたら、その時の写真データが何枚か出てきました。
こちらは、写真のみなので、どなたが投稿してくださった写真なのかも全然わかりません。
覚えていません・・・・
。
それでも貴重な写真があるので、写真の背景がわかるものは、今後、掲載していきたいと思います。
月末になったので、右サイドメニュー(スマホでは、下部に表示されているメニューになりますが)の『今週読まれている記事』を『今月読まれている記事』の集計にしました。やはり、月初めの投稿がPV数が多いようです。意外にこの掲示板にPVがあるのは、ちょっとびっくりです。
コメント欄から投稿された写真の表示される大きさを変更しました。今までより小さ感じるかもしれませんが、拡大すると、投稿された写真のサイズで表示されます。しばらくこのスタイルでやってみます。
【ひっとりごと・・】
常時ssl化するために独自ドメインを取得して、鍵付きのサイトにすることが、サイトのあり方としての最終目標でもあるけど、なかなか難しい。
独自ドメインは取得したが、今あるサブドメインからでは、そのまま移項できない。
あらためて、ワードプレスを再インストールしなくてはならない。データの移行はワードプレスのバックアップ機能を使ええば、比較的容易にできることがわかった。
だが、何点か問題が見えてきた。サーバー内のログイン情報は、継続できるが、アクセス数のログがリセットされる。まあ、それは0からのスタートでかまわないが、問題は、固定ページのコメントが表示されないというのが頭が痛い。
『大夕張掲示板』『住民登録窓口』のページからコメント投稿ができない。当然今までのコメントも表示できない。
テーマを変更すれば、解決できるというネットの書込みがあり、テーマを変えると、コメント投稿できるようになり、表示された。
でも、今使っている「SimpleDays」に戻すと、やはり、表示されない。
そこをどう解決したら良いか、今、悩ましいところです。
千年町~明石町間の線路端の法面の上から、昭和48年秋頃の撮影です。
炭鉱も閉山し、大夕張鉄道も冬には廃止ということで、SL撮影のために登ったついでに影したものと思います。
いま改めて見ると、鹿島中学校やサトミ公園なんかが見えますね。
当方のブログ「煙の記憶」の今は、三菱大夕張鉄道から夕張鉄道、国鉄などへ進んでますが、ネガの中に大夕張の風景を発掘しましたら紹介したいと思います。
ファイル選択で2枚以上のUPが出来ないのかな?
たぶん、SLと吊り橋を絡めて撮ろうとしたものと推察しますが、肝心のネガは見つかりません。
ちなみに、道路脇の自転車は当時の愛車と思います。
連続投稿で失礼いたしました。
2枚以上の添付できない仕様のようですね。お手数かけます。でも、一枚一枚じっくり鑑賞させていただきます。
写真を拡大して『海も好き』さんの愛車を確認いたしました。当時流行しつつあった、サドルの高い、かっこいい「サイクリング自転車」ですね。私の自転車の話を持ち出してなんですが、大夕張で乗った自転車が人生最初で最後のマイ自転車だったと思います。(泣いておねだりした記憶があります)。普通の子供用自転車ですが💦
鹿島中学校、サトミ公園を上から撮影するのは、当時この場所以外になかったのでは?
サトミ公園が建物までうつっていますね。余り目にしたことのなかった写真の風景なので、記憶に現実感がちょっぴり加わりました😀
鹿島中学校は、グラウンドから、続く学校林と、崖の記憶がありますが、外からみると、グラウンドとのその関係がよくわかります!ありがとうございます。
これからの大夕張の風景が楽しみです。
鹿島小学校前の自転車の少年、まささんだったのですか。もう何度も見ていましたが、全く気がつきませんでした。
20年間のヒミツが暴かれてしまいましたか・・・・別に隠していたわけではないのですが笑。
小学校4年生くらいですね。長ズボンに、小学校の制帽かぶって、長靴履いて自転車のってます。
今思うと、どこかおかしい・・・。
ワードプレスの画像投稿機能復旧しました。まだ詳しくはわかりませんが、サーバーの方の問題だったかなと思います。
コメント欄の画像投稿機能も使えます。
8月14日の夜から、新規の画像をアップできないので、当分、『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)の投稿の中から、『思い出ばなし』『訪問記』のカテゴリーに掲載していこうと思います。
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カテゴリーと内容が合わないような気がするものもありますが、その時はあとで、また、カテゴリーをいじっていきます。
お知らせ
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昨夜から、掲示場、コメント欄も含めて、画像をサーバーにアップロードできなくなっています。
現在、解決の見通しは立っていません。
更新も、既存の画像とテキストのみと、いうことになります。
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復旧に時間がかかりそうですが、よろしくお願いします。
お盆関係の記事を探して、「1丁目1番地」の掲示板記事を検索して、そこから抜き書きして、掲載しています。
1999年~2000年あたりの記事も、面白く読めるものがたくさんありました。
読むと書き込まれた当時を思い出すのですが、それまではすっかり忘れてしまっていました。いい頭です笑。
いずれも、「訪問記」や、「思い出ばなし」等のカテゴリーで記事としてまとめてみようと思います。
カテゴリ-を若干いじりました。夢の街-写真・紀行と、訪問記の間で記事の移動をしました。「夢の街ー写真」として、風景写真や、景色の写真を中心に、、、「ふるさと大夕張」に寄稿された写真や自分の写真を投稿していきます。
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お盆はいかがおすごしでしょうか。働いていた時は、墓参りと休みが増えて良かったぐらいでしたが、近ごろは、送った家族・親戚の供養と、それに増えた家族の帰省が重なる年代になってしまいました。
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その中、「ふるさと大夕張」からの引越し作業から、掲示板のお盆関係の記事を探して、ページを作っていこうとしていますが、うまくいくかどうか。過去の記事を漁っていますが、もちろん新規の寄稿・投稿大歓迎です😀。
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自分は大夕張住んでいた当時、お盆といってもほとんど記憶がなく、出店の記憶しかない・・・・・。
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管理人さまへ
当ブログ「煙の記憶」へ、貴HPをリンクさせて頂きました。
とりあえず、お知らせまで・・・
添付写真は、昭和48年12月頃と思いますが、サトミ公園へ降りる道辺りから、鹿島東小学校の方を撮った写真と推察してますがどうでしょうか?
↓煙の記憶のURL
https://umimosuki623.blog.fc2.com/
右手に常盤町、向こうから鹿島橋と、暁橋が写っていますね。奥の鹿島橋の先に、鹿島東小学校ですね。
常盤町の鹿島中学校に富士見町から3年間通った自分には見慣れた光景です。
冬の景色、シューパロ川の水量がこんな多かったのかと、あらためて驚いています。
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リンクありがとうございました。
こちらのリンクページからも、『煙の記憶』にリンクしました。
特に三菱大夕張鉄道の写真は、圧倒的なボリュームと、コメントが楽しく、一気に読ませてもらいました。
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特に自分は、大夕張の風景の中でとらえられたSLたちの様子が、シャッターを切る少年の心と重なって、楽しかったです。
飯田雅人さま、当ブログへご訪問頂きありがとうございました。
私は三菱大夕張鉄道も含め、夕張鉄道や国鉄などの蒸気機関車を撮影した少年時代の古いネガを、デジカメで撮影し直して、「煙の記憶」というブログへUPしてる者で、海も好きと申します。
SL撮影が主でしたが、時々景色も撮っていたようなので発掘しましたら、よろしければこちらへ紹介したい思います。
とりあえず、吊り橋と鹿島中学校の写真を添付しますね。
↓当ブログの三菱大夕張鉄道関連をまとめました。ご笑覧頂ければ幸いです。
https://umimosuki623.blog.fc2.com/blog-category-1.html
大夕張のシバレル寒さを思い出します。こんな日、たとえ晴れていたとしても、屋外での撮影は寒いだろうなあ~、と。
ブログの写真を拝見させていただても、夢中になって雪をかき分け、おっかけされたことが伝わってきて、少年の情熱が伝わってきました。
そのおかげで、私たちも、いま、こうして貴重な写真をみることができるんですね。ありがたいです。
今後の投稿を楽しみしています。どうぞよろしくお願いします。
昨日のログイン数1300を越していました。ちょっとびっくりでです。お盆でおうちでゆっくりしている方が多かったのでしょうね。
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「2丁目3番地」は、記事数も1000を超えようとしています。
「ふるさと大夕張」の引越しにも目処がたってきて、あとは、残っている記事を修正したり、発展的に新しい記事を増やしていこうかと考えています。
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本当は、はやく引っ越してサイトの中を存分に見て歩きたいという気持ちがないわけではないのですが、当分は、自分で、書きながら過去の記憶と対話している楽しみの方が勝っているようです。ぜひ、「2丁目3番池」を訪れている方も、数あるページの中で思いついたことがあったら、一言残していってください。それが、新しい大夕張との出会いとの入り口になります。
カテゴリ=『大夕張色の情景』をメニューー夢の街ー小説・創作ー大夕張色の情景に追加しました。
『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)にもあったものです。
ジオラマ写真等は、今後こちらに格納予定。
鹿島小学校、5・6年生の時の担任は正木英造先生でした。 小学校の近くにはカトリック教会があり、河村先生、西牟田神父様にやさしくしていただきました。夕張を離れて60年近く経ってしまいました。
ヒオウギズイセン
北海道, 富士見町 70歳以上 女性 – 2020/08/06 _ 10:14:44
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鹿島小学校に通っていました。カトリック教会が近くにありました。
ぶぶ
北海道, 富士見町 70歳以上 女性 – 2020/08/05 _ 17:48:23
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最近、『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)の住民登録のコーナーに2日続けて書込みがありました。
70歳代の方ということで、私より10歳前後、先輩にあたる方でしょうか。
にぎやかな大夕張で青春をおくられた最後の年代にあたる方と察します。
この年代の方々の記憶は、とても貴重だとおもいます。
_
ヒオウギスイセンさん、ぶぶさん、私と同じ、富士見町にお住まいだったんですね。カトリック教会、正木先生、河村先生、西牟田神父、みんな同じように教えを受けた方々です。
ぜひ『2丁目3番地』で、お待ちしています。
・・・・こちらもご覧になっていただけていればいいな。
『流れのように』は、#12で最終の投稿です。
↓
https://ooyubari.com/category/yume/kaiso/nagarenoyoni/
↑
メニューの『夢の街』-『回想・随筆』-『流れのように』でまとめてみることができます。
本日6:00~7:00にかけてサーバーエラーとなる時間帯がありました。
試しながらワードプレスの設定を誤っていじったためです。
焦りました。今は復旧しています。
ひとりごと
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「ふるさと大夕張」(1丁目1番地)から『ふるさと大夕張2丁目番地』へ、サイトの引越し作業を開始して、いつも気になっていることがある。
『セキュリティ保護なし』『安全ではありません』と、アドレスバーの先頭にいつも表示されてしまう。別に情報を盗もうとか、悪いことを考えているわけではないけど、アクセスする度に、ずっと表示されていると、とても気になる。
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サイト証明書をとって、『このサイトは安全です』の証明をもらう必要があるらしく、いろいろと調べている。
__
どうやら、さくらのサブドメイン(ooyubari.razor.jp/fo) では、難しいらしい。そこで、とりあえず、独自ドメインを取得することにして ooyubari.com というドメインを取得して運用できるようになった。
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でも、ここからやらなくてはいけないことが、たくさんあるようだ。
① リダイレクトの設定。これまでのリンクから、新しい 「ooyubari.com 下」の新しいアドレスのページにおくる設定をすること。
② サイト内のすべての各ページへのリンクを書き換える。
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そして、ooyubari.com の安全証明書を発行してもらう。
↓
↓
うまく行けば、最終的にアドレスが、「ooyubari.razor.jp/fo」から「ooyubari.com」に変わります。
影響を最小限に進めていきたいと思います。
↓
以上、「ひとりごと」の最後の2行だけが、大切なお知らせでした。
成田さん、春日町>緑町>栄町で、住民登録ありがとうございます。
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以前の『ふるさと大夕張』、1丁目1番地とよんでいますが、その時からも、facebookで、投稿するようになってからも、ずっと長いお付き合いありがとうございます。
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成田さんのfacebookの投稿を読むと、手稲山周辺の記事もあり、こちらもでもご近所さんという気持ちです。
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山育ちのため、子どもの頃から海に憧れを持っていますが、山には安心感があります。夕張岳の麓から引っ越して、今は手稲山の懐に抱かれています。末永く、よろしくお願いします。
最近、細かいことばかり書いてますが、まあ、忘れないうちに『2丁目3番地』の記録として書いておこう。
TOP PAGEの一番下。サイトのキャッチフレーズみたいなことが書いてあって、今年2月の発足当時からの文章を変えました。
まあ、そんなとこまで目にしたいる人はほとんどいないと思いますが。
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これまで、『ダムに沈んだ古里はもうない。記憶の底にあるこの街をどんなカタチでもいい・・残したい』と書いていました。それを 『ダムに沈んだ古里。心の底に眠る街の記憶の断片を集めて残します。』
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・・・こうして並べてみると、あまり意味に違いないような気もするけど、ご覧になっての通り、内容的にも、飯田個人のことばかりでもないし、(『1丁目1番地』の時からですけど)狭く、深く、あるいは浅く、雑多な資料から、たくさんの記憶(時にはお知恵を)を拝借していることから、こちらの方がいいかなと。
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何れにして『残したい』という気持ちに変わりは無いわけで、儚いネットの一角ではありますが、ここ『ふるさと大夕張2丁目3番地』が、いろんな大夕張の記憶のカケラいっぱいで埋め尽くされて、万華鏡のように見る人によっていろんな楽しみ方ができるようにしたいという気持ちだけです。
「これまで反応が多い記事」
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メニュー画面、PCなら、右側。スマホなら下の方?といえばいいのかな、「これまで反応が多い記事」というリンクメニューを追加してみました。「みました」というのは、試行錯誤の一つで、見たい画面にたどり着ける方法を模索中です。
各ページの「いいねボタン」がついていますが、そちらに反応して押して下さった方の実数の順に表示されます。
ただ、デバイス毎のカウントのようなので、スマホとPCから押すと、2人とカウントされるようです。
そんなわけで、多少の誤差はありますが、参考になる数字かと。あまり動きがない項目のようであれば、また検討します。
【青年の夜学について】
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今回、掲載した『青年の夜学』は、祖父が亡くなったあと、偶然見つけたものです。
祖父は、1998年5月に亡くなりましたが、その後しばらく、近所に住む私の母や、叔父叔母たちが家の管理をしていました。まだ、祖母も近所の病院で存命でした。
2000年の夏、お盆に祖父の家に行って、かつて私がそこで暮らしていた2階の部屋で、ふと見ると祖父の机上に綴り箱がおいてあって、その中に未使用の原稿用紙が重なっていました。
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原稿用紙を何気なくパラパラとめくっていると、中に『大夕張』という字が見に飛び込んできました。
平成7年に『流れのように』という身辺の綴りを自費出版した祖父でしたが、94歳にしてまだ、書いていたものがあったのには、驚くとともに、その気力に感動しました。
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愚直に、自らの身辺の出来事や、かつての経験を思い出し、まとめていたその姿勢を、自分も、及ばないまでも、せいぜい見習いたいものだと思います。
今日の更新は、HP作成に使っているワードプレスというソフトウエアの「公開予約」という機能を使っています。
実際には、昨日中に作成したものです。そして、この文章もホテルの一室でうっています。いい時代になったものです。
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自分は、今日、洞爺湖に来ています。昨年結婚した次女夫婦が、プレゼントしてくれたものです。
夫婦二人で贅沢な一夜を過ごしています。それは、ともかく・・・・。
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洞爺湖温泉と言えば、鹿島小学校6年生の修学旅行の暗い印象がどんよりと残っています。
暗いというのは、嫌なことがあったということではなく、天気がどんよりと小雨交じりで、印象が悪かったのです。
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コースをあらためてふり返ると、一日目は、室蘭の水族館、登別の熊牧場、登別温泉に泊まって、2日目は、オロフレ峠から洞爺湖温泉を廻って、昭和新山を見て帰った。(うろ覚えです・・・)
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疲れていたせいか、壮瞥町から洞爺湖に入り、林の木立の向こうにどんよりとした灰色の洞爺湖が見えて来たときには、「もう早く帰りたい」という気持ちとダブって、そんな印象が残ったのかもしれません。
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今日の湖畔は晴れていて、とても気持ちがいい。人も少なくて、実に快適。でも、洞爺湖に来るたびに、あの小学校6年生の時の憂鬱な気分を思い出してしまいます。
普段、ページについて、修正や、手を加えた時は、『更新された投稿』欄に表示されます。
大きな変更や、修正については、フェイスブックや、ツイッターでお知らせしていますが、お知らせしていない細かな変更もあるので、こちらの方に、そのいちいちをできるだけ書き留めていきたいと思います。
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今回、カテゴリーとして、『夢の街』→『写真・紀行』の直下に『自然』という項目を設けました。自分的にはこれから幼き日の草花や昆虫・山菜等の記憶をこちらに残すことができればいいかなというところです。
カテゴリーをいじった時には、『メニュー』表示にも反映されるようにしています。
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今回、「東高跡地のルピナス」「水仙(スイセン)」「ネコヤナギ」のページを、『自然』のカテゴリーに移動しました。
明日、「たちあおい(立葵)」の新規ページをアップします。
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お気づきの方もいるかと思いますが、これまでも、カテゴリー(メニューも含めて)ちょこちょこといじっています。
メニューにも新しい項目が現れたり、消えたりということがあったこもしれませんが、そんなわけです。
みほさん、住民登録ありがとうございます。
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また、こうして、再会できたことを本当に嬉しく思います。
その節はいろいろとありがとうございました。
みほさんから提供いただいた資料も随時、「2丁目3番地」の方で掲載しています。
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『ふるさと大夕張』から時間はずいぶん経ちました。
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これからの時間は、ふるさとへの最後のご奉公のつもりで、「2丁目3番地」を作り上げたいと思います。
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また、どうぞ、よろしくお願いします。
ページの数が多くなってきたので、「サイトマップ」を紹介します。
各ファイルがカテゴリー別(メニュー)に表示されます。
本サイトの上と下のメニューにも「サイトマップ」とかかれたリンクがあります。
それぞれの項目から各ページにとぶことができます。
一度ご覧になってみてください。
【ふるさと大夕張2丁目3番地】開設の経緯
「ふるさと大夕張」の経過についてふり返りながら、この「2丁目3番地」を開設するにいたった、私の心境の変化を綴ったブログは『備忘録』に保存してあります。
昨年12月に「ふるさと大夕張」の更新を再開したものの、どんな形で進めていくか、暗中模索の状態でした。ブログという形から今の形が”とりあえず”できあがりました。
未だ、完成形がどんな形になるか、わかりませんが、こんな形で進み始めました。
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『備忘録』とは・・・・・
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「1丁目1番地」は、2019年12月に更新を再開して、「ふるさと大夕張」を作っていたときの思い出をまじえながら、『ふるさと大夕張』の更新情報を伝えた「さくらのブログ」の過去の記録。
「2丁目3番地」は、2020年2月1日に『ふるさと大夕張2丁目3番地』を、スタートして、現在進行形のブログ。
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ふるさと大夕張2丁目3番地 備忘録
https://ooyubari.com/category/biboroku/
〈上村 正樹さん、代々木町で住民登録ありがとうございます。〉
大雪の朝、しばしばありました。小学生の頃、雪に埋もれた道を腰で雪をこいで学校に向かった思い出は鮮明です。つらかったというよりは、むしろ懐かしく楽しい雪の思い出になってしまいました。
3月29日現在、「2丁目3番地」のデータもたまってきました。
更新しながら自分の中の「大夕張」と向き合うのも楽しいですが、いまいちど、立ち止まって「ふるさと大夕張」の中の「大夕張」と向かい合うのも自分の喜びです。
ただ、立ち止まってゆっくり「ふるさと大夕張」と向かいあっていると、なかなか更新がはかどらなくなるのが悩みではあります(^_^;
〈河内さん、春日町で、住民登録ありがとうございます。〉
こちらの掲示板で、ご挨拶させてもらいます。フェイスブックの「ふるさと大夕張」でも懐かしく、楽しいお話聞かせていただいてます。自分の狭い世界を広げてもらっている気がします。奥様とのツーショット、写真とても素敵です。お悔やみ申し上げます。大夕張に向き合っているときは、自分はいつも父や母と一緒にいる気がします。これからもよろしくお願いします。
こちらで、目にとまったHPにリンクを貼って紹介していきたいと思います。今回アップした『泉町から大夕張駅』の写真の反対側、歩道橋から昭和47年頃、鉄道写真愛好家の方が撮ったものです。歩道橋から泉町方面が列車とともにうつっています。
煙の記憶 三菱大夕張鉄道No5を横断歩道橋から俯瞰撮影する
https://umimosuki623.blog.fc2.com/blog-entry-186.html
〈花田さん、代々木町で、住民登録ありがとうございます。〉
こちらの掲示板で、ご挨拶させてもらいます。こうして何年かぶりにやりとりするのも、久しぶりで懐かしく、嬉しいです。
「1丁目1番地」のデータをリニューアル(?)しながらこちらの「2丁目3番地」の方に引っ越していきますので、今後はこちらの「2丁目2番地」をどうぞよろしくお願いします。
フェイスブックの私の以前のアカウントは廃して、新しいアカウントにしました。
現在、「2丁目3番地」の更新情報は、Twitterと、Facebookを通して流すようにしています。
新しいアカウントで花田さんのアカウントに友達申請おくりました。もしよかったらそちらの方もご確認していただければと思います。今後とも、よろしくお願いします。
最初に何も無いのも書き込みにくいと思いますので、書き込みます。
この「2丁目3番地」をスタートさせるまでいろいろと試行錯誤していた時期、それは、備忘録の「1丁目1番地」の書き込みにあるのですが、その中でも、方向性を見いだしてきた頃、次のように書いていました。
・更新というよりは、データの「引っ越し」という形になります。
写真やデータを今までとは違う見え方で、新しいサイトを構築していくわけです。
その過程をご覧になっていただいて、もちろんコメント等もできますし、一緒に完成形を目指していただきながら、のんびり進んでいけたらと思います。
・完成は、何年かかるかわかりません。あるいは、未完となってしまうかもしれません。とにかく歩き出したいと思います。
こんな気持ちでやっています。よろしくお付き合いください。