楽しかった日々 山スキー 栃木で生れ東京で薬学を学び、戦後三菱鉱業の大夕張炭砿病院に就職した父は、北海道に単身渡った。 富士見町の啓心寮に入った父は同じ、独身の寮の仲間たちと、時には病院の若い看護婦さん達を誘って、夏は野球、冬はスキーと、大夕張での独身生活を楽しんでいたという。 そんな父の、おそらく八百五十でのスキーでの… 続きを読む
大夕張の全景 八百五十 山の向こうへの思い 昭和40年頃、八百五十山頂からの大夕張。 あいにく対面の夕張岳は雲の中だが、礦業所以北の官行の工場地帯から、千年町・常盤町あたりまでの住宅地が雪の中に黒く見えている。 白黒写真に着色した画像 八百五十山頂からの大夕張 やまのむこうは? 【丸山直記】1999年02月23日 私は昭和23年6月… 続きを読む
思い出の街角 八百五十のゲレンデ 昭和30年 八百五十のゲレンデ。 白黒写真に着色した画像 八百五十 【小笠原 憲】 1998年02月27日(金)16時47分10秒 お久しぶりです。 遠い昔の記憶によると(昭和35,6年)、八百五十は鹿島小の横の沢をどんどん登っていって、更に山に登って・・というようなところでした。 鹿島小の冬… 続きを読む
楽しかった日々 八百五十のゲレンデ(3) 『大夕張小唄』にも詠われた『八百五十』。 見渡す限りの銀世界 スキーで鍛える この体 スキーをするには絶好の斜面で、ヒュッテもあった。 山神社から尾根伝いにいくコースと、沢づたいに行く2つのコースがあった。 ヒュッテは、吹き抜けの2階もあり、スキーの合宿ともなると十数人もの人数が宿泊する大… 続きを読む
思い出貼 子どもとスキー 昭和30年頃、八百五十のゲレンデにて。父が友人のご家族と一緒にスキーにでかけた時の写真。息子さんのカメラへ向ける眼差しが可愛らしい。 白黒写真着色した画像 竹ストックとスキー 【飯田雅人】 このストック、今見ても全然違和感ありません(笑)。 多分自分がものごころがついてスキーに初めて接し… 続きを読む
楽しかった日々 八百五十のゲレンデ(2) 昭和30年 八百五十のゲレンデで。山の向こうに山、山がつらなる。 八百五十 【飯田雅人】(2021年3月12日) 私が過ごした大夕張に八百五十(はっぴゃくごじゅう)と呼ばれる山があった。 海抜850メートルの山だから八百五十とよばれている、と小さい頃から聞かされていた。 住む人たちには、山スキ… 続きを読む
思い出貼 八百五十のゲレンデ(4) 昭和30年 当時の、身長以上の長いスキー。 お腹に茶色の腹巻きをしめている。バカボンのパパがしていた腹巻きと同じ物。このころ自分は身につけた覚えはない。忘れてしまっただけなのかもしれないけれど。 スキーのブランドマークは当時よく見かけたような気がする。小樽にあったというアジアスキーだっただろうか… 続きを読む
思い出の記 八百五十スキー宿泊 |Kawauchi Masami 大夕張から、八百五十山頂。赤い線は、神社裏からの尾根伝いのルート。冬に八百五十のゲレンデに行くには、鹿島小学校裏から、宝の沢に沿ってのルートがあった。八百五十のゲレンデは、山頂直下の急斜面の下の緩やかな傾斜地だった。その傾斜地の途中にヒュッテがあった。 (目 次) 準 備 出 発 山小屋… 続きを読む
訪問記 八百五十登頂記|内川准一 平成14年(2002年)3月31日 八百五十に行ってきました 国道から山頂とぼた山 予定通り、今朝40年ぶりに八百五十の山頂に立つことができました。2,3日前から好天の予報が出ていたけど、予定に無いほどの好天!青い空に白く切り取ってはめ込んだように見える夕張から芦別に連なる山々が、神々しいほどで、か… 続きを読む
思い出貼 八百五十の思い出 昭和30年、八百五十のゲレンデ。 八百五十の思い出 【斎藤敏幸】 (1998年02月27日(金)17時58分42秒) 八百五十へは、冬スキーを履きながら父によく連れられて行きました。 富士見町のスキー場から、大夕張神社まで登り切り、浄水場の横を通り抜け、沢伝いに少し下り、後は平坦な道… 続きを読む
楽しかった日々 八百五十スキー遠足 AIによる着色を施しています 昭和37~38年頃のスキー遠足 【花田勝則】 セピア色しと化した写真をデジタル処理して焼いた複製写真ですが、送らせていただきます。 小学校3~4年生だったでしょうか。冬は持っていった弁当を教室のストーブのしたに置き、昼に温まったのを食べていたものでした。 八百五十へいく… 続きを読む
思い出の街角 八百五十からの遠望 2003年3月。大夕張神社の裏から尾根伝いにここまでくると,幅の広い斜面が開けた。このあたりはかつてヒュッテがあった。左に芦別岳,右に夕張岳,さらに右手遠くには日高の山並みが見えた。… 続きを読む
思い出の街角 八百五十ヒュッテ 昭和36年 八百五十頂上直下の緩やかな傾斜地にあったヒュッテ。地元民によく利用された。 八百五十ヒュッテ 八百五十登山 【道端政俊さん】 昭和31年32年33年(小学4.5.6)と続けて田中豊一先生や友人と冬登山したことを懐かしく、たまらなく郷愁をおぼえます。 33年頃には、学童のみの… 続きを読む
地図 八百五十 八百五十、はっぴゃくごじゅう、ほぼ850メートルの高さで、神社から続く山の名前です。赤い○で表したところが山頂です。大夕張の人たちは、スキーや軽登山などで馴染みが深く、歌の歌詞にも歌われるほどでした。 この画像の作成は,DAN杉本氏のフリーソフト「カシミール」で国土地理院発行の「数値地図50mメッシ… 続きを読む
1丁目1番地 大夕張資料室 八百五十登山ルート 『大夕張資料室』から、「八百五十登山ルート」の不要なリンクの削除です。 八百五十(はっぴゃくごじゅう)とは、大夕張神社の後に連なる山の名ですが、山の高さでもあります。正確には、850メートルに少し届かないくらいだったかな。 J.F.Kさんの投稿によると、本名「後藤山」というのだそうです。 (この… 続きを読む
1丁目1番地 1999~2007年の大夕張 雪晴れ大夕張~さよなら美鉄バスツアー 『1990年~2007年の大夕張』の2002年の冬の大夕張についてのページのリンク切れや、それに合わせて手を入れました。内川さんの八百五十登山や、美鉄バスツアーいろいろな関わりがありました。 八百五十登山はけっこう愛好家のいる山のようで、ネットで検索してもいくつか記事が出てきます。 内川さんの記事は… 続きを読む