思い出の街角 三菱バス車庫と炭砿病院 昭和45年頃。 海抜318メートルにある街の上空半分を低く垂れ込めて覆う厚い雲。 雲の合間からさす強い陽射しがまぶしい。 大夕張の暮らしを思い出す。 白黒写真に着色した画像 バス車庫の思い出など 【飯田雅人】 黒い雲がおおう空。影できていることがから日差しはあるよ… 続きを読む
2丁目3番地 三菱・夕鉄 バス停留所 昭和の大夕張、バス停留所を作って(描いて)みた・・・。 地図のネタになるか、空想の街のジオラマを彩る一素材になるのか。 用途は定かではない笑。 それはともかく実際の写真やビデオに写りこんでいるものを参考にした。 昭和30年代から昭和40年頃の自分がいた街がベースになる。 当時の三菱バス停の標識は… 続きを読む
学び舎の思い出 三菱(鉱)バスにのって シューパロ湖畔へ 鹿島東小学校遠足 昭和42年頃、シューパロ湖畔の公園。 児童の後ろに見える遊具の回旋塔も懐かしいタイプだ。 鹿島東小学校(当時一学年2学級)の遠足だったそうだ。 三菱バスに揺られて大夕張から遠足にいった先での集合写真。 バスにつけられている愛称、左『はまなす』、右『くろゆり』と読める。 白黒写真に着色した… 続きを読む
思い出の街角 三菱バス 大夕張営業所 昭和43年頃、新塗色のバス(左)と、旧塗色のバス(右) 炭砿(ヤマ)内を走るバスは。山内線、山内バスと呼ばれ、『中学校前行』と『明石町行』があった。 自分の記憶の中では、山内バスというと、写真にある右側の『灰色』中乗りのバスを連想する。 もともと始発は、『礦業所前』だった。小さい頃は、… 続きを読む
思い出の街角 バス停 1998年(平成10年) 美鉄バス 大夕張 私は、恭子の手をぎゅっと握ると、深々と二人に頭を下げた。そして、涙が止め処もなく流れ出した。 両親は静かにバスを降りた。 傍らには三菱バス大夕張と書かれたバス停がしっかりと立っていた。 やがてバスは、大夕張駅の前で旋回すると、静かに走り出した。… 続きを読む
訪問記 路線撤退間近 美鉄バス大夕張営業所(平成9年10月13日)|飯田雅人 平成9年(1997年)年11月30日の路線廃止を約一ヶ月半後に控えた秋晴れの日曜日(10月13日)に訪ねた美鉄バスの営業所です。 周囲に建物がなくなってしまった今も、以前と変わらぬ場所にありました。 札幌~大夕張間は既に廃止になりましたが、その後、一日に何本か夕張駅との間を結んでいました。しか… 続きを読む
思い出貼 昭和39年 栄町商店街を行くバス 商店街を行く、三菱(鉱)バス。この先、炭砿病院の横に三菱バス車庫がありました。山内線の始発、終点は礦業所前でしたが、その後、車庫前、始発・終点になりました。 昭和39年栄町商店街三菱(鉱)バス… 続きを読む
1丁目1番地 「大夕張色の情景」「こちら三菱バス営業所」 「大夕張色の情景」と、「こちら三菱バス営業所」、リンクや動画の更新を行いました。 映像館の方もそうなのですが、2000年当時作った動画が、軒並み再生できないようになっています。他の動画投稿サイトに上げようとしても、「サイズがあいませせん・・・」みたいなエラーメッセージが出て結局、コンバーターなどで再… 続きを読む