運んだ、石炭を人を 昭和35年 遠幌駅 昭和35年 遠くに、ホームと「えんほろ」の駅名標が見えている。 下記『山史』によると、 北炭(北海道炭礦汽船)が遠幌炭鉱を開発、昭和23年に送炭を開始した。 同年6月18日に、北炭が駅舎社宅を完成し、北炭から提供を受けた。 営林署、北夕炭鉱、北菱鹿島炭鉱の岐線があった。 白黒写真に着色した画像 … 続きを読む
運んだ、石炭を人を 遠幌駅改札 昭和35年頃 遠幌駅の改札。なんとも懐かしく心地よい陽だまりのホーム。この改札を何人の人が往来したでしょうか。遠幌駅のみならず、当時は当たり前に見ることのできた駅の光景も今はもう見ることができません。… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 遠幌駅から 清水沢方面 昭和40年頃。 この写真は、左手に遠幌駅の駅舎があり、ホームの向かい側から清水沢方面に向かって撮影されたもの。 線路の先には清水沢清湖町のアパート群が立ち並んでいます。 昭和48年『塩狩峠』(三浦綾子原作・松竹映画)の撮影が三菱大夕張鉄道を舞台に行なわれました。その際,映画の冒頭遠幌駅ホームが… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 遠幌駅から 南大夕張駅方面 昭和40年頃。 南大夕張駅方面を写した写真。 昭和15年木材積み出しの停留所としてスタートした遠幌駅ですが、北炭遠幌炭鉱の開鉱など、戦後は石炭の送炭も開始されました。 それに伴って,農地が主だった遠幌も炭砿の従業員の炭砿住宅など多くの家々が軒を並べにぎやかになっていきました。写真は木材積込み… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代 遠幌駅前 車窓の風景 【飯田雅人】 三菱大夕張鉄道の遠幌駅前の写真ですが,この風景は昭和40年頃、札幌-大夕張間を走ったバスの車窓から何度も見た印象の印象が強く残っています。 清水沢から左に道が折れて,このあたりまでくると山がぐっと集落の両側に迫り大夕張の圏内に帰ってきたという思いをもちました。写って… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 遠幌駅構内 昭和35年頃 遠幌構内積下 【本間正雄】 遠幌駅構内積下は昭和35年前後で、この時期大夕張炭鉱の奥部立坑が、八百五十の近くに建設中で、遠幌からエンホロカベツ川沿いの林道から建設資材を運搬しました。 遠幌駅構内はその時の骨材の積み下ろし作業です。… 続きを読む