学び舎の思い出 修了級会(昭和18年) 大夕張高等尋常小学校~鹿島国民学校~鹿島小学校と、戦前戦後を通して教員として務めていた祖父のアルバムから。 昭和18年(1943年)5月11日の日付とともに、『第13回修了級会』との書き込みがある。ちょうど今年から80年前の写真となる。 昭和18年に開かれた『修了級会』は、今でいうと… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和18年10月鹿島国民学校 高等科2年女子 もう色あせて一部が消えかけてきている写真ですが。 昭和18年(1943年)10月、鹿島国民学校 高等科2年女子。13、4歳の子どもたち、今から77年前。 当時の児童数、33学級1805人。 場所は、校舎中庭。後ろに渡り廊下と、東側の校舎が見えている。 当時、鹿島国民学校の訓導だった祖父は、戦時下にお… 続きを読む
炭鉱とともに 昭和18年 鹿島国民学校 教職員勤労報国隊 三菱大夕張炭鉱 更衣所(進発所)前 戦争の激化とともに、人手不足を補うため、外国人労務者や、昭和17年には京都から挺身隊が入山しました。 鹿島国民学校教職員による報国隊が組織され、日曜動員で、採炭作業に従事しました。。 当時の学校の日常が、戦争中を回想した次の文章にも出ています。 https:… 続きを読む
思い出の街角 昭和18年 宝沢を行く列車 昭和18年、7号の沢と言われた宝沢にかかる鉄橋を行く列車。最後部の車両は出征兵士の見送り。昭和19年築堤化された。 道路側から見た鉄橋。この辺りは戦後バラックの貸本屋・のみ屋・飲食店などが数10軒道路の両側に立ち並びにぎわい、道路改修の為強制的に岳富町と駅前商店街の向かい側に移る。 &… 続きを読む
昭和 1943年(昭和18年) 1月 20日,鹿島書道会設立。小野政志(s31年時会員97名) 2月 (株)夕張卸売市場,鹿島卸売市場支店を設置。 4月 1日,夕張市市制施行。夕張市鹿島国民学校へ校名変更。大夕張警防団から鹿島警防団と改称。 6月 20日,夕張市役所鹿島出張所できる。(初代所長香川庄造他1名任命7月) 人口1万18… 続きを読む