楽しかった日々 シューパロ川の石採り 昭和43年(1968年)鹿島中学校一年に入学した。 その年の夏のこと、父親に連れられて近所のトシボーと、弟と4人で大夕張炭山駅から奥の『官行』に向かい、シューパロ川の上流に行った。 その経路は、平成10年発電所からポンプ場への中で使った私の手元にあった二枚の写真と、弟が持っていたこ… 続きを読む
住民登録 1998年10月1日~1999年12月29日 昭和45年、6歳になるときに江別に引っ越しております。 父は夕張東高校の教師で、教員住宅に住んでいたことを記憶しています。 当時のことはわずかですが覚えております。 もう生まれた場所は残っていませんが、私にとっては生涯の故郷となっています。 工藤 央 damiansourn@excite.co.jp… 続きを読む
随想 1998年 大夕張 閉鎖の頃|飯田雅人 昨日の北海道新聞夕刊に『鹿島の施設 水没で閉鎖』という見出しで、小さな記事が出ていました。 内容は、住民の移転がほぼ終了し、鹿島連絡所が9月29日で閉鎖され、10月末には、夕張署の鹿島駐在所も閉鎖されるというものでした。 6月に私が大夕張に行った際には、鹿島連絡所は、4月から火曜日のみ… 続きを読む
交通関係 美鉄バス 大夕張さよなら記念乗車券 平成9年(1998年)発行 白とグレイの2種のパッケージに収められた2種類の記念乗車券。 袋の裏面の文章と、乗車券に書かれた文章をおこして書き留めておきます。 さよなら乗車券 2種 地図から消えるまち 北海道 大夕張 大夕張さよなら記念乗車券 美鉄バス大夕張営業所は、平成9年11月30日を以て… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島小学校 の碑 ~十二名の在校生に寄せて~ 鹿島小学校の校庭には、この街の興りから衰退までを見届けてきた樹齢二百年近くのイタヤカエデの木がしっかりとその大地に根を張っている。 その傍らには、夕張市立鹿島小学校の記念碑が建っている。 そこには、この学校の七十年の歴史を見送ってくれた、最後の在校生十二名の名が刻ま… 続きを読む
訪問記 1998年12月 大夕張冬景色|長谷川潤一 ●は撮影地点 山の冬景色(官行)栄町から冬のズリ山大夕張駅前歩道橋大夕張神社雪の鹿島小校庭岳富町千年町常盤町白金明石町方面98年 大夕張冬景色 (撮影:1998年12月30日) 本当に誰もいない大夕張の冬になりました。いったい、あのポストに手紙を出すのは誰?・・・・。 風にのって降ってくる雪の音が聴… 続きを読む
平成 1997~1998年「閉村」報道の記録 1997年(平成9年) 1月21日(火) 「湖底に沈む街 大夕張から」 第一部連載開始(読売新聞北海道社会面 1/26まで6回連載) 3月24日(月) 「消えた鉄道を歩く~汽笛が響いた街夕張~」NHK衛星第二BSスペシャル 3月28日(金) 「ダムに沈むヤマ元」(HTB 『myステーション』午後6… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅前の移り変わり 大夕張駅から駅前通り風景の写真を3枚。昭和20年代から昭和40年代への20年間の市街地の発展は目をみはるほどです。炭鉱隆盛の時代。昭和48年の閉山から25年を経た老朽化した建物は時代の流れを示しています。昭和20年代の写真は夏の日の午後でしょうか。通りを歩く人々の声が聞こえてきそうで心に残ります。後… 続きを読む