遠幌駅から 南大夕張駅方面

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 昭和40年頃。

 南大夕張駅方面を写した写真。

 昭和15年木材積み出しの停留所としてスタートした遠幌駅ですが、北炭遠幌炭鉱の開鉱など、戦後は石炭の送炭も開始されました。

 それに伴って,農地が主だった遠幌も炭砿の従業員の炭砿住宅など多くの家々が軒を並べにぎやかになっていきました。写真は木材積込みの作業のようですが、当時遠幌駅裏には貯木場と木工場がありました。


遠幌の夕景色  【菅井宏史】  2000年03月29日(水)02時31分21秒

 夕張などに行った帰りのもう夕暮れ時、ちょうど列車やバスが遠幌に近づく 少し手前で、いつも目にしていた光景があります。

  大夕張に向かう進行方向の右側、川の対岸のかなり遠い所に大きなアパート (代々木アパートをもう少し大きくしたような)が、確か2棟ほど建っていま した。

 それが黄昏時にはそのシルエットだけがぼんやりとして、何かちょっ と無気味な感じもしたものです。

 「あんな遠い所に建つアパートに人住んで るのかなあ?」といつも思ってました。

  実際どうだったのかは知りませんが、私のいたあの頃(昭和40年代初頭) にはすでにそこは無人であったような感じもします。本当はどうだったので しょうか?

 あのアパートは今でもありますか?もうないとすれば、なくなっ たのはいつ頃ですか?

  遠幌にまつわる記憶として、東側の山を背にして建つそのアパートの遠景が 本当に強く印象に残っています。


北炭遠幌炭砿事務所 【飯田雅人】  2000年03月28日(火)22時43分29秒

 遠幌駅については、昭和30年代でしょうか、清水沢を出た列車がしばらく清水沢 ダムに沿って走り、最初に停車する駅として、また、大夕張炭山から発した列車が 最後のとびきり深い谷を越えて停車する駅としての印象が強くあります。

 昭和40年代、大夕張からの足としてむしろバス利用が主となった頃の記憶では、 清水沢を出発したバスが住之江町の住宅街を走り、踏み切りを越えたあたりから 正面に見えてきた北炭遠幌炭砿の事務所が強い印象を持っています。

 特に札幌発大夕張行きのバスに乗った時など、清水沢で大勢の乗客が降りた後、 遠幌のこの建物が見えてくると、なんだか『帰ってきたなあ』とほっとした気分 になったことが思い出されます。 伊藤薬局ですが、遠幌駅から橋を越えてやや南部寄りの道路に面したところにあ りました。幌南町と呼ばれているところでしょうか・・・。

  それと、昭和46、7年頃、先に出てきた住之江町の踏み切りで、乗用車が遠幌駅方 向に向かって線路を走っていったという事件があったと思うのですが、ご記憶の 方はいらっしゃるでしょうか。当時新聞等でも報道され、帰省した際、バスの窓 から線路脇に一台の白い乗用車が置かれていたのをみたような気がするのですが ・・・。


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